2010年7月16日金曜日

宮部みゆき『堪忍箱』

 雨の多かった梅雨が上がってきた気配で夏空が広がっているが、蒸している。このところ頸椎のこともあったり、歯医者にかよったりして身体のメンテナンスの必要性をつくづく感じているが、スポーツジムも止めてしまったので、今のところ少し長く歩く以外のことはしていない。ただ、黄昏時に散策をするのはとても気持ちがよい。夏の夕暮れは、どことない寂寞感が漂うのだが、それもよい。清少納言は、「秋は夕暮れ」と言ったが、現代の季節感に照らし合わせれば「夏は夕暮れ」となるだろう。

 2~3日前から宮部みゆき『堪忍箱』(1996年 新人物往来社)を読んでいたが、昨夜ようやく読み終わった。彼女の作品は展開の妙もあってどれも読みやすいし、これは短編集なのだが、夜にすることもたくさんあって、なかなか読了しなかった。

 宮部みゆきは比類のない筆力をもった作家で、彼女の筆力は、展開がゆっくりと、しかも大胆な発展をしていく長編にこそよく現れる本格的な長編作家だと思うが、短編もそれぞれの妙がある。長編は決して短編の積み重ねではなく、そこには特有の粘り強い、そして全体を見通す思索が必要であり、短編は独特の切り口を必要とし、いわば詩的な感覚を要するので、その作品の構造自体が異なっているのだが、宮部みゆきの短編には、短編ながらその両者を兼ねているようなところがあるように思われる。

 『堪忍箱』は、表題作の他に「かどわかし」、「敵持ち」、「十六夜髑髏」、「お墓の下まで」、「謀りごと」、「てんびんばかり」、「砂村新田」の8編が収められている短編集で、それぞれ、江戸でその日暮らしを強いられている人々の暮らしの中での人間模様を描いたものである。これらの作品多くは、奉公人として働かなければならない、今で言えばまだ少年少女の視点の中での人情や妬みや恨みの気持ちを抱いて生きる人間の姿である。

 表題作の「堪忍箱」は、火事で祖父を失い、意識不明になった母を抱える菓子問屋の娘を引き回し役にして、家代々に伝わっている決して開けてはいけないと言われている「堪忍箱」につまっている人のくやしさや嫉妬心、怨念の話で、「かどわかし」は、忙しい母親の代わりに育ててくれた乳母を慕う少年の気持ちと、それを知る母親の思いが、少年のかどわかし(誘拐)事件をきっかけにして交差する話である。

 第三話「敵持ち」は、勤めている料理屋の女将に横恋慕していると思われる男に脅され、命を狙われる料理人が身を守るために長屋の傘張り牢人に用心棒を頼み、それによって料理屋の女将と男が企んでいた金貸し殺しの嫌疑を料理人に向けるという悪計が暴かれていくというもので、用心棒となった牢人は、かつてはある藩の要職だったが、藩主が狂気に陥り、奥方との不貞を疑って上意討ち(主君の命で殺されること)となり、逃れていたもので、人の欲と狂気が交差する中で、牢人の身の処し方が光る作品である。

 第四話「十六夜髑髏」は、15歳で米屋に奉公に出た娘が、その米屋に代々伝わっている十六夜の月の光を浴びると主人が死ぬという言い伝えの真実を知っていくというもので、それが初代の主家殺しの怨念であるというもので、第五話「お墓の下まで」は、それぞれの事情を抱えて捨てられた子どもたちが、長屋の差配夫婦に育てられ、それぞれの子どもたちの事情と育てる差配夫婦の事情が絡み合って、それぞれの事情を墓の下までもっていくことによって互いの思いやりと愛情のあり方を情感あふれる温かい筆致で描き出したもので、個人的には、この短編集の中では一番気に入った作品である。

 第六話「謀りごと」は、長屋の差配が死んでいるのを見つけた住人たちが、それぞれに死んだ差配の姿を描き出すもので、人にはいろいろな面があるのだということが、それぞれの住人の姿を通して描かれる。第七話「てんびんばかり」は、姉妹のようにして育ってきた二人の娘が、一人は大店の後添いとなり、一人はそれに嫉妬していくということを筋立てにして、大店に嫁いだ娘も不義の子を身ごもったり、嫉妬していた娘も結婚して住み慣れた長屋を離れていくことになったり、人の運命というのがほんの少しのところで変わっていくということを、女性同士の嫉妬心や友情の姿として描き出したものである。

 最後の第八話「砂村新田」は、父親の病のために奉公務めをしなければならなくなった娘が、苦労している母親の昔の恋心を知っていくというもので、人間の愛情の深さがさらりと描かれている。

 こういう短編が、切り口というより、様々な思いをもって生きている人間の姿の集約された描写として描かれており、単純な文学的点描の短編ではないところが、おそらく、作者が長編作家であるゆえんだろう。

 宮部みゆきの長編作品は、おそらくなかなか人気があるのだろう、図書館で上下巻そろっていることがまれで、最近でも『小暮写真館』という相当の分量の長編が出版されている。作家としての資質はいうまでもないことであるが、思考力の持続性と仕事量に脱帽する。

 今日は本当に暑い。夜眠る時にエアコンを使わないし、騒音を防ぐために窓を閉め切っているので、滴る自分の汗で目覚めてしまい、睡眠不足が起きてしまうが、これからこういう日々が続くのだろう。昔は、田舎で、窓を開け放って朝まで気持ちよく眠っていたような気もするが、そのころの風景がなんとなく懐かしく忍ばれる。

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