2010年8月22日日曜日

山本一力『だいこん』

 昨日、テレビの天気予報を見ていたら「猛暑日」という言葉ではなく、「猛烈に暑い日」という言葉が使われていて、なるほど、と感心した。「猛暑」と言われるよりも「猛烈に暑い」と言われた方がどことなくしっくりするような気がしたからである。今年は、本当に暑さが厳しい。

 昨夕、山本一力『だいこん』(2005年 光文社)を開いて読み始めたら止まらなくなり、全482ページをとうとう夜が白み始めるころまで読み続けてしまった。ときおり、こういう作品に出会うが、読了して嬉しさが込み上げてくるような感動を覚える作品だった。

 『だいこん』は、苦労して江戸の浅草の下町で「だいこん」という屋号の一膳飯屋を営ようになった若い娘「つばき」の半生を情感あふれる巧みな筆力で描き出した作品で、「つばき」が深川で新しい店の開店準備をする時に上納金を取り立てにやってきた地回り(やくざ)と渡り合う場面から始まり、その地回りの親分が昔の「つばき」の知り合いであったことから、そこに至までの自分の人生を回想するという展開になっている。

 「つばき」は、腕もよく、仕事一筋ではあるが、酒を飲むと人が変わったようになったり、ふとしたことから博打に手を出し、10両もの借金を作ってさんざん家族に苦労をかけてしまったりする大工の安治と、借金の貧苦に悩まされながらも夫についていく母「みのぶ」の子として生まれ、幼い頃から次女の「さくら」と三女の「かえで」の面倒を見ながら、「しっかり者」の長女として生きてきた。

 まだ六歳の子どもに過ぎなかったころ、父親の博打の借金が元で両親がいがみ合い、父親が借金の取り立てで怪我を負わされた時、小さな「さくら」の手を引いて見知らぬ町で肩たたきをして銭をかせごうとして追い出されたりする。健気で、ひたすらまっすぐ生きていく。

 小さいころから炊事をしなければならなかったこともあって、九歳の時、火事の炊き出しに出てご飯の炊き方を習い、ご飯を炊いたところ、これが絶妙においしく、そのことから火事の見張り番小屋の賄いとして用いられることになる。働く人の状態や気持ちを見てご飯を炊き、工夫をする「つばき」はそこで母親も雇ってもらい、十七歳になるまで周囲の人たちに可愛がられながら働く。「つばき」が炊いたご飯は天下一品のご飯であった。人柄もきっぷもまっすぐな少女に成長していくのである。

 こうして働いたお金を蓄え、彼女は一膳飯屋「だいこん」を始める。彼女が見張り番小屋の賄いを止める時の様子が次のように描かれている。

 「長い間、ありがとうございました」
  つばきが深々とあたまをさげたとき、男たちはすでに仕事に戻っていた。見送るものもいなかった。
  それがつばきには、たまらなく嬉しかった。そんな男たちと仕事ができたことが、つばきの誇りで
もあった。
  火の見やぐらの下に、つばきとみのぶが差しかかった。
  カアーン。
  カアーン。
  一点鐘が打たれた。
  本来は鎮火を知らせる鐘である。いまはつばきとみのぶに、名残を惜しんで鳴っている。
  母と娘が、火の見やぐらにむかって礼をした。長い韻を引いて、半鐘がふたりに応えた。(237ページ)

 誰が見ていようと見ていまいと、黙って深々とお辞儀をする。それに男たちが鳴らす半鐘が応える。そういう光景が、つばきと周囲の人々の間に広がっていく。その光景だけで、つばきという少女と周囲の人々の関係が見事にわかる。

 つばきの一膳飯屋「だいこん」は、つばきの気の利いた細かな心使いや工夫で繁盛していく。妹の「さくら」と「かえで」、そして母親の「みのぶ」で盛り立てていくのだが、何と言っても「つばき」の店主としての裁量が光る。「だいこん」は、一度は大水で浸水されて「つばき」たち一家は行き場を失うが、そんなことでへこたれない。一時しのぎで宿泊した公事宿屋でも、「つばき」は奉行所の訴訟人たちの弁当を考案し、働き続ける。「つばき」は年頃となり、いっしょに弁当を作っていた公事宿の若旦那と淡い恋心を持つようになるが、自分の商売である一膳飯屋「だいこん」を大切にし、再建を図るために若旦那の申し出を断ったりする。

 一家を支える長女として、妹たちのように甘えることができない自分、母親に対しても自分の意見を頑として譲らない自分に悩むこともあり、長女であることや母と成長した娘との関係も「つばき」の心情を通して語られていく。酔うとどうしようもなく、博打から足を洗うこともできない父親だが、大事な時には適切な判断を示し、「つばき」の良い相談相手となっていく父親の姿も描き出される。

 こうして、再び「だいこん」は繁盛し、魚河岸からの直接の仕入れのために桃太郎の絵を描いた車を作って評判を呼んだりする。器量も度胸もあり、きっぷもよい「つばき」をやっかむ人間も出てくるが、周囲に助けられながら、「つばき」は思うところを進んで行く。日本橋の大店の主たちとも、その人間味で対応する。「つばき」に新しい事業の展開を申し入れた日本橋の大店の大旦那「菊之助」は「つばき」の人柄を次のように見込む。

 「仕事をご一緒にと切り出せば、つばきさんは話を聞く前に断るだろうと、大旦那様はおっしゃいました」
 おのれの身の丈にわきまえのあるつばきなら、大店と一緒と言われただけで断るに違いない。断られたら、何があっても頼み込むこと。
 もしも話に乗ってくるようであれば、それは身の丈を過信しているものの振る舞いだ。先々では揉め事を起こすに決まっているから、そのときは通り一遍の話をして帰ってくること。
 菊之助は、こう番頭に指図していた。(430ページ)

 「つばき」は、こうして新しい事業を展開することになるのである。思い切りの良さも、大胆な事業展開も繰り広げられる。彼女は年配者から学ぶ謙遜さもある。新しい事業を任せることにした茶屋の老婆とその友人たちの振る舞いから、人間の本当の奥ゆかしさを学んでいくのである。

 おそめは、柳原の土手で小さな茶店を商っていた婆さんである。
 ところがおかねは浅草橋の船宿の大女将だし、おきちは箱崎町の煙草屋の隠居だ。どれほどおそめをひいき目に見ても、おかねとおきちのほうが、育ちの良さでは勝っていた。
 それなのにおかねもおきちも、おそめの指図に従っていた。だれがあるじであるのかを、しっかりわきまえているからだ。
 それでいて、茶を入れたり、ようかんを切ったりすれば、育ちのほどがくっきりと出た。しかも、ひけらかしたりはしない。
 これが本当の奥ゆかしさ。(451ページ)

 こうした細かな芸当が随所に記されているのである。だから、描かれる人間が生き生きしている。登場人物たちが、まるでそこに生きているかのように語られていくのである。

 そして、「つばき」は魚河岸に出入りし、なにかと「つばき」を手助けしてくれる好青年に恋心を抱きながら、繁盛している「だいこん」の店を整理して、新しく「だいこん」の看板を深川に掛けることになるのである。

 この物語は、一膳飯屋を営む娘の成功物語では決してなく、苦労物語である。だからこそ、読むものを惹きつける。決して単なるサクセスストーリーではなく、己の身一つで、才覚と工夫、努力を積み重ねながら、境遇や挫折を乗り越えていかなければならない人間が、それを何とか乗り越えていく物語である。

 寛政元年、「つばき」25歳で、この話は終わる。魚河岸に出入りするぼて振りの好青年への思いも胸にしまったまま、深川での新しい「だいこん」の店の普請が進んで行く。深川の鐘の音を聞きながら、「知恵を使い、こころざしを捨てず、ひたむきに汗を流して」暮らしに溶け込んでいこうとする「つばき」の姿で終わる。名作の一つだと思う。

 ところで、明日の夕から留守をする。4~5冊の本を抱えては行くが、パソコンはもっていかないので、この「独り読む書の記」も一週間ほど休むことにした。ガタが出始めている身体の修復がすこしできればと思っている。それで、日曜日の夜にこれを記した次第である。

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