2011年6月30日木曜日

平岩弓枝『はやぶさ新八御用帳(六)春月の雛』

 朝から暑い日差しが照りつけていたが、午後になって雲が広がるようになってきた。少し時間ができたのだから、中途半端なままで終わっていることを片づければよいのだが、どうも気力が湧かない。まあ、こんな風にして時が過ぎていくのだろう。今日で一年の半分が終わる。

 平岩弓枝『はやぶさ新八御用帳(六)春月の雛』(1994年 講談社)を読みながら、人が生きることができる時間と空間について考えたりした。

 この中の第八話「落合清四郎の縁談」の中に、「数年前から近海をイギリス船が航行したり、エトロフ島とやらいう北方の蝦夷地にロシア船が上陸したなぞという事件が瓦版にも出て、公方様のお膝下で暮らす江戸の庶民の間にも、なにがなしに不安感が広がって、それが流行飛語の源にもなっている」(239ページ)という一文があって、そういう状況の中で、主人公の隼新八郎と友人になり、彼を兄とも慕うようになった三千石の旗本である落合清四郎の縁談の顛末が書かれていくのだが、人の営みというのは、こんな感じで進んでいくし、また、それでいいのではないかと思った次第である。

 つまるところ、人が生きることができる時間と空間には自ずと限度があり、人の営みはその中のものでしかないのだから、食べ、飲み、眠るという日常の営みを続けることを大事にする以外になく、仕事や業績などは、実は取るに足りないもので、「心の赴くままに、しかし矩をこえず」に過ごせれば一番で、「矩(のり)」というのは、わたしの場合は、思いやりや愛情だろう。

 閑話休題。『はやぶさ新八御用帳』のシリーズは、『はやぶさ新八御用旅』のシリーズと合わせて、ほとんど読んでいたと思ったが、この第六作『春月の雛』は、あまり記憶に残っていなかったのか、改めて読んだ次第で、江戸時代中期の名奉行と謳われた根岸肥前守鎮衛(1737-1815年)の「耳嚢(袋)」について関心をもったのも、このシリーズを読んでからだったような気がする。

 これは、江戸南町奉行となった根岸肥前守の内与力(秘書官のようなもの)である隼新八郎が、肥前守の命を受けて、いくつかの事件の探索を行うもので、さすがに平岩弓枝らしく人物の設定が巧みであっさりとしており、根岸肥前守は、頭脳明晰で懐の深い人物として描かれているし、隼新八郎をはじめとして、常に、弱者の側に立つ視座が明瞭に打ち出されている。また、主人公の隼新八郎は、神道無念流の達人で、頭脳は明晰、きっぷがよくて、非常に心優しい青年であるが、色恋には奥手で、それでも美貌の、あまり物事には拘泥しないのんびりした気質の妻がありつつも、かつての自分の母親の世話をしていた女中で、今は上役である根岸肥前守の奥女中をして細やかな配慮を見せる「お鯉」や、町方(岡っ引き)の娘で、粋でいなせなちゃきちゃきの江戸っ子気質の「小かん姐さん」に慕われたりして、その展開も味のあるものになっている。

 このシリーズの多くは根岸鎮衛の『耳嚢』から題材が取られており、たとえば表題作である第五話の「春月の雛」は、春月という人形師が作った雛人形に魅せられて二人の女性が死ぬという出来事を、女性の恋と嫉妬が絡んだ事件として展開したものである。

 本書には「江ノ島弁財天まいり」、「狐火」、「冬の蛙」、「鶏声ヶ窪の仇討」、「春月の雛」、「淀橋の水車」、「中川舟番所」、「落合清四郎の縁談」の八話が収められ、「耳嚢」を題材にした事件性のある話の展開は、すごくあっさりと展開されているが、この中では「中川舟番所」と「落合清四郎の縁談」だけが、主人公の隼新八郎と旗本の落合清四郎の出会とその顛末を描いたものとなって特別の事件性のあるものではなく、それだけに作者の技量が発揮された作品になっている。

 平岩弓枝の作品でいいのは、それぞれの登場人物たちが自分の思いに素直で正直に生きようとしているところで、様々な事情はあるが、根岸肥前守や隼新八郎も、そして「小かん」や「お鯉」も、あるいは主人公と一緒に働く同心や岡っ引きも、みな、それぞれに自分の思いに正直で素直である。「よい人間の関係」というものは、そういうものでできているのだから、結果がよくても悪くても、そうしたことが大事にされているのが作品の爽快さと情を生んでいるのである。

 物語の背後の歴史的考証や文章の歯切れの良さは言うまでもない。ただ、わたしがひねくれているのか、事件の結末があまりにあっけない気がしないでもない。しかし、肩の凝らない読み物としては申し分がない。誰でもが登場人物が好きになり、こういう関係があれば素晴らしいだろうと思うように描かれている。

2011年6月27日月曜日

高橋義夫『花輪大八湯守り日記 若草姫』

 台風で押し上げられていた梅雨前線が再び南下して雨が降りしきる日になった。梅雨らしい天気といえば梅雨らしいのだが、少々うんざりしないわけではない。人の感情や精神というのは勝手なもので、気分次第というところがあり、論語の「而して小人ここに乱る」の「小人」に成り果ててしまうところがある。人というのは、思った以上に非論理的な存在なのだから、こういう季節には「気分を変える」ということが大事かもしれない。温泉にでも行こうか、と思ったりする。

 昨日はなんだか疲れを覚えて夕方からずっと寝て、夜中に目が覚めて、それから食事を作り、シャワーを浴びたりしていたら眠れなくなって、こういう時は軽い読み物でもと思って、高橋義夫『花輪大八湯守り日記 若草姫』(2005年 中央公論新社)を読み続けた。

 これはこのシリーズの『湯けむり浄土』(2004年 中央公論新社)に続く二作目で、この後に三作目の『艶福地獄』(2009年 中公文庫)が続いており、主人公が生一本の素朴さと剛胆さを兼ね備えた大らかなところがあって、ある種の爽快さを醸し出していくので、比較的軽く読み飛ばせて面白く読んできた作品のひとつである。

 シリーズの基本的な構成は、前にも記したが、出羽の新庄藩(現:山形県新庄市)で次男の部屋住みであった主人公の花輪大八が、私闘の責任を負う形で勘当され、日本有数の豪雪地帯で知られる山深い肘折温泉(ひじおれおんせん)の湯守りとなり、そこでの人々との交わりを通じて、湯治客などが持ち込む事件などに関わって、時にそれが新庄藩全体を巻き込むものであったりする出来事を解決していく顛末を描くもので、本書でも、肘折温泉に湯治客としてきた藩の子女が、新庄藩を二分する内紛に関わる者であることから、花輪大八もその内紛に関わらざるを得なくなっていく展開になっている。

 豪雪のために閉ざされたようになっている肘折温泉に、雪を分けて二人の武家の女性が湯治にやってきた。やがて、その付き人が殺されるという事件が起こった。そして、肘折温泉を守る湯守りとして事情を調べていた花輪大八は二人の武家の女性から、もし自分たちに万一のことがあるときは、城下の藩士に届けて欲しいという「若草ものかたり」という草紙本を預かることになる。

 ところが付き人殺しの犯人がわかってしまうと、犯人は武家の女性の実家から送られてきた護衛役で、殺された付き人は女性の婚家からきていた監視役ということで、女性の実家と婚家の間で争いごとがあり、その争いが実は藩の実権を内分するような争いであったことがわかっていくのである。女性は両方の争いの要の立場に立っていたのである。

 その大筋の中で、新庄藩にあった剣術道場の道場破りをした剣の修行者が湯治にやってきたことから、遺恨のために追いかけてきた剣術道場と道場破りをした者との争い、それに新庄藩にあったふたつ剣術道場の争いが絡み、さらにそれが藩の実権を巡る争いに絡んでいくということがあったり、病に蝕まれて湯治にやってきた手品師が死を迎えるということがあったりして、事柄が輻湊していく。

 そういう中で、花輪大八は、湯治場を守り、また湯治客を守るという立場を貫きながら、藩の内紛に彼の兄も巻き込まれていたことから、事件の収束に当たっていくのである。

 物語そのものは、読み物として特別なことではないが、世間と隔絶したようなのんびりした湯治場の雰囲気と、それに合うかのような主人公のあまり物事に拘らない大らかさがあり、その中に外の世界の人の欲望と思惑が突入し、「人の生活を守る」ということに徹することでその思惑を解決して退けるという展開に絶妙なところがある。

 ただ、欲を言えば、主筋の展開の中にいくつかの話が挿入され、それぞれが絡んではいるが、それぞれに独立した話でもあり、いつの間にか主筋が疎くなってく所があって、若干の散漫さが残念な気もする。もちろん、人の生活というのはそんな風に織りなされていくわけだから、それがリアルであるといえばリアルなのだが、物語として読む方は、途中でどこか待たせられているという気になったりする。表題の「若草姫」からすれば、もう少し事件の要となった武家の女性と主人公の絡みがあっても面白いのではないかと思ったりする。その意味では、このシリーズはやはり三作目の『艶福地獄』が一番面白かった。

 今日は午後からもいくつか予定があって、疲れが抜けきれないままに過ごしているが、こんな日はろくな仕事はできないだろう。

2011年6月25日土曜日

坂岡真『照れ降れ長屋風聞帖 濁り鮒』

 かっと暑い日差しが照りつけたかと思うと、にわかに雲が広がって空一面を被う。梅雨の晴れ間とはこんなものだろうが、三日間ほどうだるような猛暑日が続いた。ただ、九州の南西を通過している台風5号の影響か、風があって、時折ごうごうと空が鳴り渡ったりする。

 昨日は専門誌の原稿の準備にかなり集中したためか、一日、使われている古典ギリシャ語が頭のなかを巡っていたので、夜は「にこにこ動画」というサイトで「スタートレック」というアメリカSFドラマを見たりした。ドラマそのものは、民族や人種、文化を越えていくといういかにもアメリカ的なのだが、アメリカのCG技術は感心するくらいうまく、映像が美しい。

 そのドラマを見ながら、坂岡真『照れ降れ長屋風聞帖 濁り鮒』(2007年 双葉文庫)を面白く読んで、なかなか心楽しい夜だった。

 これは、このシリーズの八作目の作品で、通称「照れ降れ長屋」と呼ばれる裏店で、十分の一屋(仲人業)をしている「おまつ」に食べさせてもらっている中年のうらぶれた浪人の浅間三左衛門が主人公で、この八作目は、その浅間三左衛門と「おまつ」の間に初めての子が生まれることになり、三左衛門が心配のあまりおろおろするところから始まる。三左衛門は、ここでも近所から「腑抜け侍」とか「子守り侍」とか陰口をたたかれるが、相変わらず、妻煩悩、子煩悩である。

 第一話「濁り鮒」は、「おまつ」の子を取り上げることになっている産婆の「おとら」の孫娘の嫁ぎ先である薬種問屋の若旦那が悪党に脅され、あげくには誘拐・監禁される事件を扱ったもので、「おとら」の孫娘と薬種問屋の若旦那の仲を取り持ったのは「おまつ」である。

 「おとら」の孫娘の母親は、娘を生んですぐに若い男と失踪し、身を持ち崩して宿場女郎になったりしていたが、娘はそのことを知らずに祖父母の手で育てられたのである。そして、母親が病死する前に自分の娘のことをもらし、それを聞いた悪党たちが、大店の薬種問屋の若女将の母親がそういう女であることをネタにして薬種問屋の若旦那を強請り、監禁してさらに金を脅し取ろうとしていたのである。

 臨月を迎えていた「おまつ」は、「おとら」の孫娘の様子が気になり、三左衛門に事情を探るように依頼し、大雨で川が溢れそうになる中で真相を探り出していく。そして、薬種問屋の若旦那が愛する妻のために奔走し、監禁されたことを知り、川が決壊して洪水となっていく中で彼を救い出していくのである。

 一方、子どもが生まれそうになった「おまつ」は、産婆の「おとら」の所に行こうとするが、川が溢れ、屋根に取り残されることになる。三左衛門は必死で「おまつ」を探し、屋根に取り残された「おまつ」を見つけるが、川が溢れてどうにもならない。そこに、彼が助けた薬種問屋の若旦那が屋根船を仕立てて助けに来てくれ、こうして「おまつ」は屋根船の中で無事に出産をすることができ、危機一髪の連続が続くが、生まれた子は「おきち」と名づけられ、三左衛門の子煩悩ぶりが発揮されていくのである。

 第二話「痩せ犬」は、子どもが生まれて、なんとか金を稼ごうとして口入れ屋(職業斡旋)に行った先で、意に染まないながらも用心棒を引き受けることにしたが、そこには、刀を売りつけて金儲けをしようとする座頭とその刀の切れ味を試すために用心棒として雇った浪人たちを殺していく旗本の歪んだ欲望が渦巻いていたのである。小太刀の遣い手である浅間三左衛門は、その二人に歪んだ欲望を粉砕していく。ここには、貧しく落ちぶれたがゆえに手放した子どもを引き取るために無理に金を稼ごうとして試し斬りのための用心棒に雇われる浪人とその子どもの親子の姿も描かれる。

 第三話「酔芙蓉」は、このシリーズの中のもう一組の男女の姿を描いたもので、味わい深い作品になっている。

 浅間三左衛門の句会仲間で気のおけない友人である八尾半兵衛は、元町奉行所の風烈見廻り同心で、愛妻を亡くし、後継ぎもなかったために御家人株を売って隠居し、好事家が垂涎するような鉢物を作る鉢物名人といわれる自適の隠居暮らしをしている。

 三年前、亡き妻の回向のための日光詣での帰りに立ち寄った千住の旅籠で飯盛女をしていた「おつや」と出会い、「おつや」は、半兵衛の底知れない孤独を感じて、一晩中、彼の疲れた身体を揉みほぐしたことが縁で、半兵衛は大金をはたいて彼女を身請けし、一緒に暮らすことになったのである。

 泥水をすすり、苦界に身を沈め、死ぬばかりになっていた「おつや」は、思いもかけなかった半兵衛の心に触れ、人として生きる道を与えられ、半兵衛のためならこの身を犠牲にしてもよいと思いながら暮らしている。だから、二人の思いは純粋で深い。

 だが、その半兵衛が時折家を空けるようになった。案じた「おつや」は半兵衛の行き先を突きとめ、彼が若い女性の家に出入りしていることを知る。「おつや」は、半兵衛のために身を引こうとするが、その女の家の近所で出会ったやくざ風の男のことが気になる。そして、そのやくざ風の男が半兵衛に届けた書状を、いけないことだと思いつつも開けてみて、その女が拐かされて半兵衛が脅されていることを知り、悩んでいるうちに、彼女もやくざ風の男に捕らえられてしまう。

 そして監禁された中で、半兵衛が出入りしていた若い女性が、実は半兵衛の姪で、父親の博打の借金のために拐かされ、加えて、拐かした者たちは、昔、半兵衛に捕らえかけられた強盗で、その逆恨みを晴らすために半兵衛を誘き出そうとしていることを知る。

 だが、「おつや」が残した一文で監禁先を突きとめた半兵衛、甥で町奉行所同心をしている八尾半四郎、浅間三左衛門が駆けつけ、二人を救い出していく。

 「おつや」は、こうして助け出されるが、半兵衛を信じることができずに自分勝手なことをした自分を恥じ、自分は飯盛女に過ぎず、半兵衛にふさわしくない女だと感じ、着の身着のままで失踪し、路銀もなくたどり着いた品川の宿場外れの安宿の下働きを始める。そして半月が過ぎる。

 だが、「おつや」の行き先を必死で探し回った半兵衛が、ようやくその安宿を探し出し、半兵衛は繰り言ひとついわずに、ただ酔芙蓉がはじける音を聞き、ススキは買っておいたが、団子はまだだから、月見の支度をしなければならない、さあ、一緒に帰るぞ、と言うのである。

 こういうくだりで二人の男女の思いが描かれ、それぞれの思いとそれをわかっていく情愛の深さがしみじみと伝わる。老いた半兵衛の人格と「おつや」の思いは、こうしてますます深まっていくものとなるだろう。

 第四話「怪盗朧」は、夜釣りに出た浅間三左衛門が、旗本や大名屋敷に強盗に入り盗んだ金を貧乏裏店に撒く「おぼろ小僧」という義賊に出会い、三左衛門の妻である「おまつ」が仲人として世話をすることになっていた醤油問屋を巡る土浦藩江戸留守居役と新興の醤油問屋の陰謀を、その「おぼろ小僧」と粉砕していく話である。

 人徳者で知られていた醤油問屋「常陸屋」の大旦那が殺される事件があった。「おまつ」は、その大旦那から孫娘の縁談の世話を依頼されていた。「常陸屋」も取り潰されそうになり、孫娘の縁談も破談になりかけた。三左衛門は、その裏に何かがあるとにらんで、「おまつ」の願いのために事情を探ろうとする。そして、孫娘の縁談相手が「おぼろ小僧」の疑いで捕縛された。その疑いを晴らすために、三左衛門は「おぼろ小僧」を突きとめる。そして、「おぼろ小僧」もまた醤油問屋の大旦那に義理があることを知り、彼によって土浦藩江戸留守居役と新興の醤油問屋がしくんだ陰謀を知るのである。そして、三左衛門は「おぼろ小僧」と一緒に、その二人の陰謀を粉砕していくのである。

 これらの作品には、第三話「酔芙蓉」で示されたような純粋で深い男女の思いが描かれ、また、主人公と「おまつ」の愛情の深さ、素直にそれを大切にする人間のあり方が至るところで示されているが、作者の遊び心も満載で、第四話「怪盗朧」では、「悔い悩みても是非無きことは(悔やんでも仕方がない)」をめぐる句作があったりして、なかなか粋なところがある。こういう遊び心には喝采を贈りたい。

2011年6月23日木曜日

上田秀人『闕所物奉行 裏帳合(四) 旗本始末』

 昨日は突然の30度を超える夏日となり、湿気が多いのでうだるような暑さになった。駒澤大学まで出かけたが、汗がだらしなく滴ってきて気怠さの中でうずくまるような気さえした。

 溜まっている原稿や仕事量が増えて、専門書以外の読書量が落ちているのだが、昨夜は上田秀人『闕所物奉行 裏帳合(四) 旗本始末』(2011年 中公文庫)を面白くて一気に読んだ。

 このシリーズは、一作目の『御免状始末』から順に読んでいるが、何と言っても、重罪を受けた者の財産没収を行う闕所物奉行という設定の発想が特異で、しかも上司が自分の正義を傲慢に振り回す鳥居耀蔵で、幕政の問題と庶民の問題の両方に関わりながら物語が展開でき、その上に、主人公があまり物事に拘らない鷹揚さを持ちながらも、高圧的な上司の下で何とか自分の思いを貫いていこうとするという優れた物語設定が光っている。

 この『旗本始末』は、大御所として権力を握っていた徳川家斉のお小姓(日常生活の世話をする者)であった末森忠左という旗本が突然失踪し、幕政の裏を掴んで自分の権力掌握に利用しようとする鳥居耀蔵から主人公の榊扇太郎が探索を命じられるところから始まる。お小姓とはいえ、大御所の徳川家斉の側近くに仕えているわけだから、末森忠左の権勢は大きく、しかも彼の失踪は家斉の不始末を証するものとなるので、そこには家斉の側近と、それに対立する将軍徳川家慶の側近との思惑が渦巻く要因となっていくのである。

 旗本が失踪すれば、改易となり闕所(財産没収)となるので、榊扇太郎は真相の掌握を鳥居耀蔵から命じられるのだが、その探索の過程で、借金が増えて娘を遊女として吉原に売らなければならなくなった旗本・御家人が増えていることを知る。

 失踪した末森忠左は、結局、莫大な借金を抱え、反家斉を策謀する老中土井利位(どい としつら)と、吉原の掌握を狙っていた品川一帯を牛耳る「狂い犬の一太郎」に利用されていたのだが、「狂い犬の一太郎」はまた、人身売買を禁じていた法律を利用して、旗本の娘が吉原で売買されているということを証拠にして吉原の乗っ取りを企んでいたのである。

 この「狂い犬の一太郎」は、八代将軍徳川吉宗の血筋をもつと自称し、ことあるごとに莫大な金を生む吉原を乗っ取り、裏社会を牛耳ろうと企んで、第一作の『御免状始末』で吉原と関わりを持って信頼を得ていた榊扇太郎の、いわば宿敵ともなる非道な人物である。

 彼の企みに気づいた榊扇太郎と吉原会所は、丁々発止の知恵比べを交えながら、その企みを粉砕していくし、榊扇太郎は、自分を利用するだけ利用しようとする高圧的な上司である鳥居耀蔵の思惑をかいくぐって、事件を落着させていく。

 この榊扇太郎が、惚れた女を守るためには命をかけるに値すると言い切って、窮中に飛び込んでいくといった剛胆さと世の中から捨てられたものに対する思いやりがここでも光っていくので、幕政内における権力争いと市井の江戸の闇社会の権力争いという二重に絡んだ欲の渦巻く中での物語の展開を、ある種の爽快さをもって読み進めることができる作品になっている。

 歴史の要素ももちろんうまく取り込まれているが、作中の細かな描写もよく配慮され、主人公だけを頼りにする朱鷺という女性との主人公の関係も、次第に情が深まっていく過程がよく描かれている。いま出されている多くの時代小説の面白さの要素がうまく盛り込まれた作品だと、つくづく感心する。文章も、変にてらいがなくて読みやすい。

2011年6月20日月曜日

浅田次郎『憑神』

 今にも泣き出しそうな重い雲が垂れている。九州では大雨が続いているし、東北では震災後のつらい状況が無策のままに続いているが、人はただ己の営みの中で生きるしかないのだから、今日は何を食べようかと思い悩んだりする。

 先日、ふと思い立って「にこにこ動画」という動画サイトで映画を見ていたら、途中で「に~こ、にこ動画(♪)」と入ってきて、「~が午前0時ぐらいをお知らせします」という時報が挿入され、その遊び心に思わず感心した。

 現代社会は、時間というものを何時何分何秒まで気にするようになってしまったが、考えてみるまでもなく、時間というのは場所や人間によって異なるのだから、「~時ぐらい」というのが最も正確な時報の表現であり、「にこにこ動画」の時報が最も正確な表現に近い気がする。

 江戸時代の時刻の「暮れ六つ」とか「七つ発ち」や「八つ(ちなみに「おやつ」はここから由来している)」という数字の時刻表現はだいたい2時間おきぐらいで数えられていたが、それぐらいの時間の感覚が人間の生活にあっているのかも知れないと思ったりもする。時は人の生活の営みの便利のために創られたものだが、その時に追われるのは、やはりどこかねじれた生活だろう。昨日はそんなことをぼんやり考えながら、半日、うつらうつらと眠り続けた。

 閑話休題。浅田次郎『憑神』(2005年 新潮社)を面白く読んだ。この作者の作品は、前に『壬生義士伝』(2000年 文藝春秋社)を読んでいたく感動し、中井貴一が主演した映画も見て、感涙を禁じ得なかったが、作者自身の型破りな人間性はともかくとして、人間に対する視点の面白さと深さは格別なものがあると思っていた。

 『憑神』は、御家人で御徒の家に生まれた次男が、崩壊していく江戸幕府の中で、武士としての矜持を保ちながら生きていく姿を描いたもので、『壬生義士伝』でもそうだったが、いわば「滅びの美学」とでも言うべきものが、不運のユーモアを交えながら描き出されている作品である。

 武家の次男坊として生まれた主人公の別所彦四郎は、文武共に優れた才能を持ちながらも、次男であるがゆえに能力を発揮する場に恵まれず、養子に行った先からも、養家の後継ぎとして男子が産まれるやいなや種馬としての役割が済んだということで、嵌められて出戻りさせられ、鬱々とした部屋済み生活を余儀なくされている身であった。

 そして、ある時、酔った勢いで河原にうち捨てるようにしてあった祠に「なにとぞ宜しく」と掌を合わせてしまい、その祠が貧乏神、疫病神、死に神の三神を巡る「三巡神社」であったことから、次々と禍に陥っていくのである。

 彼は貧乏神、疫病神にたたられていくが、それぞれの神も彼の人柄に打たれたりして、取り憑く「身代わり」を立てたりして、自分が養子に行った先の義父の策略が明らかになったり、自分勝手で小心な兄に変わって御徒としての勤めに出るようななったりし、最後に、死に神を抱きつつ、徳川家の影武者としての御徒の家柄に忠実に、死地を求めて徳川慶喜に成り代わって上野の彰義隊へ、それが愚かなこととわかりつつも赴いていくのである。「限りある命を輝かせて死ぬ」それが、彼がたどり着いた地平である。

 この作品の中で面白い設定だと思ったのは、貧乏神が恰幅のよい大店の主として、不治の病気をもたらす疫病神が、病弱とは縁のないような力強い力士として、また、死に神が生命力溢れる小さな娘として登場することで、「見た目」と「真相」が面白く対比させられている点で、まさに、悪は善の顔をしてやってくるということが面白く設定されているのである。

 もうひとつ、これは作者のどの作品でもそうだが、人はそれぞれの立場で、それぞれの言い分や理屈があり、それぞれの正義があって、そこで動いていることが充分描き出され、そして、それぞれがどこかで少しずつ狂ってきた不幸や不運が生み出されていくという描き方が面白いと思った。

 主人公を種馬として扱い、用が済めば策略を用いて「用無し」として扱った養家、自分勝手で録でもない兄、貧乏神、疫病神、死に神など、それぞれの立場と言い分がある。そして、人のいい主人公がそれぞれの言い分を認め、そのために苦労しながらも、自分の「最後の武士」としての生き方を貫き、その「滅びの美学」を全うしていく姿が物語の中で展開されているのである。

 文章も構成も、言うまでもなくうまく、それだけに読みやすいし、人の「情け」もペーソスも溢れている。主題そのものに普遍性があるわけではないが、物語として面白く読むことができた。著者の作品数が多いので、数冊読んだだけでは何とも言えないが、作者の姿勢は、何となくわかるような気もする。

2011年6月16日木曜日

高橋義夫『天保世なおし廻状』

 梅雨の隙間のようにして時折晴れ間が見え隠れする日になったので、洗濯をしたりした。九州地方では今日からまた大雨とのことで、九州の親しい人たちのことを案じたりしている。このところ就寝時間が夜中の3時過ぎになることが多く、いささか睡眠不足なのだろう身体が気怠いが、日常的には変わりはない。

 二日ほどをかけて高橋義夫『天保世なおし廻状』(2001年 新潮社)を読んだ。これは江戸末期の天保年間(1830-1843年)に起こった大塩平八郎の乱(1837年)と蛮社の獄(1839年)、老中水野忠邦による天保の改革などの激動する社会の姿を、1833年に大阪西町奉行となり元与力であった大塩平八郎の意見に耳を傾け、さらに、1841年に江戸南町奉行となって水野忠邦の改革に反対した矢部定謙(やべ さだのり・・1789-1842年)を中心にして描き出そうとしたもので、それを大塩平八郎の乱に荷担した庶民の側の仙吉という人物と矢部定謙の用人の狩野晋助という人物の二人を主人公にして、物語として見事に展開した作品である。

 ちなみに、矢部定謙は水野忠邦と政治上の対立をしたために、南町奉行の座を狙っていた鳥居耀蔵につけ狙われて、言いがかりのようにして、鳥居耀蔵の策謀によって南町奉行を罷免され、桑名藩の預かりとなったが、自ら絶食して非業の死を遂げている。ただ、水野忠邦と鳥居耀蔵は矢部定謙をおとしめたが、彼の死の翌年に、改革の失敗と不正を理由に共に罷免されている。策謀がいかに愚かであることかの典型のようなものである。

 江戸時代の天保年間は、社会の不安定さが急激に露呈しはじめてきた時代であった。以後、幕藩体制が揺らぎ始め、徳川幕府は急速に崩壊の道を辿っていくことになるが、まず、天保元年(1830年)に水戸藩主であった徳川斉昭の幕政批判が公になり、水戸や薩摩で藩政改革が起こっている。京都では大地震があり、1500人以上の死傷者が出ているが、社会体制の地盤が大きく揺らぎ始めていたのである。

 1833年あたりから天候不順で水害や冷害によって全国的な凶作が始まり、1836年から1837年にかけての大飢饉となって各地で大多数の餓死者が出、米価を初めとする諸物価が高騰し、百姓一揆が頻発し、農民の都市流入によって打ち壊しなどが相継いだ。他方では、「オットセイ将軍」と異名をとる徳川家斉の贅沢三昧と閨房による権力争い、収賄が大手を振ってまかり通っており、政治は腐敗の一途をたどっていた。逼迫した幕府の財政再建のために貨幣の改悪が重ねられ、それによって諸物価はさらに高騰し、社会的格差ははなはだしいものとなった。ちなみに、徳川家斉は、1837年に将軍職を家慶に譲るが、1841年に死去するまで大御所として幕政の実権を握り、家斉の側近たちによる政治が続いている。

 うち続く飢饉によって窮乏を極めた庶民の実情と収賄によって私腹を肥やしていくような腐敗した政治に見かねて、1837年2月に大塩平八郎が「救民」の旗を掲げて大阪で乱を起こし、ロシア船の蝦夷地侵入やモリソン号事件に見られるような諸外国からの脅威(これには中国でのアヘン戦争の影も大きい)など、内的にも外的にも危機感を募らせる状況が続いたのである。

 1838、1839年と江戸での大火が続く中で、水野忠邦の腹心で目付であった鳥居耀蔵の策謀によって蘭学者の渡辺崋山や高野長英が捕縛されるという蛮社の獄が起こり、1841年に徳川家斉が死去するやいなや、あらゆる贅沢が禁止され、価格が統制され、旗本や御家人の貸付金を帳消しにする棄損令が出され、貨幣の鋳造が行われた。そして、それらによって消費が押さえ込まれて流通経済の混乱に拍車がかけられ、不況が蔓延する状態を招いてしまったのである。

 つまり、天保年間というのは、一方では権力争いを巡る政治の暗躍が盛んになると同時に、他方では、普通の人々が生きることさえ困り果てたり、困窮を極めたりする状態が続いた時代であり、社会的危機が増大した時代だったのである。やがて27~28年後に、江戸幕府は崩壊する。

 こうした事柄を背景にして、大塩平八郎の乱の時に大塩側についていた仙吉という正義感の強い渡世人が、大塩平八郎から矢部定謙あての密書を預かり、大阪から江戸に向かう途中で、その密書を奪われるというところから物語が始まる。仙吉は山中で数人の侍に襲われて密書を失ってしまうのである。

 そして、密書を失った仙吉が矢部定謙の用人である狩野晋助に会い、狩野晋助は主人である矢部定謙を守るために善後策を講じていく。仙吉は大阪で親しくしていた講釈師(講談師)の西流斎吐月が住む達磨長屋という貧乏長屋に吐月の弟子という触れ込みで身を隠し、裏店での生活を始めながら吐月がたい金をだまし取られた詐欺事件の解決などに関わっていく。その長屋にお咲という娘が住んでいた。お咲は、姉のお芳とその亭主と一緒に生活していたが、姉の亭主によって手籠めにされ、姉の亭主を刺し殺してしまう。姉のお芳はお咲の罪を一身に引き受け、亭主を刺し殺した毒婦として処刑される。仙吉もまた吐月が巻き込まれた詐欺事件で相手を殺し、仙吉とお咲は逃亡することになる。

 身寄りがなくなり、頼る者がないお咲は、仙吉だけを頼りにして逃亡生活を続け、やがて一緒に大阪に戻り、そこで下駄の出店などをして暮らし始める。

 やがて、仙吉は、大阪で大塩平八郎の乱に荷担して生き残った者たちと会い、大塩平八郎の志を継いで「救民」運動を起こそうとする仲間たちと大塩平八郎を貶めた大阪東町奉行の跡部良弼(あとべ よしすけ)暗殺計画に荷担する。彼を唯一頼りにしていたお咲を振り切って、「救民」という大儀のために暗殺計画に荷担したのだが、その計画は失敗し、大塩の残党はことごとく殺され、彼は再び流浪の逃亡生活に入るのである。

 他方、主人である矢部定謙と乱を起こした大塩平八郎との繋がりの発覚を恐れた用人の狩野晋助は、策略が入り乱れた政治状況の中で主人を守るべく奔走していく。矢部定謙は、大阪西町奉行から勘定奉行となったが、水野忠邦が行った幕府財政救済のための貨幣の改悪に、これが物価を高騰させて経済を疲弊させることから反対し、ついに勘定奉行の任を罷免されて西丸留守居役に左遷される。そして、蛮社の獄が起こる。

 蛮社の獄で標的とされた渡辺崋山と江川太郎左衛門(英龍)との繋がり、かつて江川英龍が韮山代官であった時に大塩平八郎が江戸に送った書簡などをすべて押さえていたことから、矢部定謙の用人である狩野晋助は主人の立場を守るために蛮社の獄でうごめいていた鳥居耀蔵らの行動の裏を探し出したり、貨幣の改悪でかなりの金額が裏金として水野忠邦に流れている事実を探り出したりして奔走していく。しかし、鳥居耀蔵につけ狙われ、水野忠邦に対立した矢部定謙は、西丸留守居役からさらに小普請組支配に左遷させられる。1840年のことである。

 矢部定謙は悶々とした日々を過ごすが、大御所として幕政の実権を握っていた徳川家斉の死去によって、1841年4月に江戸南町奉行に抜擢される。しかし、彼を執拗に狙っていた水野忠邦と鳥居耀蔵の陰謀で、同年12月に罷免され、桑名に永のお預けとなってしまうのである。物語ではその経過が用人の狩野晋助の立場から記されていくのである。そして、狩野晋助は、桑名で矢部定謙が絶食して憤死するまで付き従い、その後始末をしていくが、どこまでも主家のために苦労を重ねていくその姿が克明に描かれている。

 一方、物語の最後で、各地を放浪していた仙吉が、ふとしたことで旅芸人のようにして大阪に向かう吐月と再開し、彼と一緒に大阪に帰り、自分がやむを得ず捨てたお咲を探し出していく姿が描かれる。その際、「世なおし、世なおしと大きなことをいうたかて、女房一人救えんのかいな」(459ページ)という深い反省が彼を突き動かしていく姿が描き出されている。そして、仙吉に捨てられたが、信じて仙吉を待ち続けたお咲との再開が果たされていくのである。

 この最後の部分は圧巻で、天保という歴史の激動を矢部定謙の側から描きだしてきた作者の意図が凝縮されたものとなっている。

 歴史的な事柄が綿密に押さえられて、その中で二人の主人公を通して時代が描かれているし、作者の意図(思想)が明確に盛り込まれて、まことに読み応えのある作品だった。それにしても、矢部定謙が大阪西町奉行時代や江戸南町奉行の時に行った人情味溢れる名奉行ぶりについて、その資料がどこから集められたのか、簡単には手に入らないので、資料調査について驚嘆に値する仕事ぶりだと改めて思ったりする。

2011年6月13日月曜日

佐藤雅美『魔物が棲む町 物書同心居眠り紋蔵』

 昨夜激しく降り続いた雨脚も少し弱まって、ただ鬱陶しい梅雨空が広がる日になっている。このところ月曜日はひどく疲れを覚えるようになってきているのだが、今日のような鬱陶しい天気の中ではなおさらである。ただ、近所の道路脇に植えられた一株の紫陽花が色鮮やかな清涼感を醸し出してくれている。紫陽花には、妙に人の悲しみを癒す力があるような気がする。

 昨夜、半分眠りながら降り続く雨音を聞きつつ、佐藤雅美『魔物が棲む町 物書同心居眠り紋蔵』(2010年 講談社)を読んだ。読んだというよりも、正確には字面を辿っていただけかもしれない。

 作者の作品は、これまでにもかなりの数を読んでおり、「物書同心居眠り紋蔵」のシリーズも、主人公の南町奉行所の例繰方同心を務める藤木紋蔵が、時ところかまわず突然居眠りに陥るという奇病のため「居眠り紋蔵」と呼ばれ、そのため出世や評価というところからは縁遠いところにあるが、実は、過去の判例(例繰方はその判例を調べて事件の判決を導く)に関する知識と推理力は抜群で、その知識と観察眼を用いて事件を解決していく人物として設定され、奇病のためにいつ首になってもおかしくない状況を戦々恐々としながらも卓越した推理を発揮していく姿が描かれているので、これまでにもこのシリーズを何冊か読んで来た。

 この作品を読んで改めて感じたのだが、以前から、佐藤雅美の文体は事実を淡々と述べていくような文体で、文章の艶というものからは遠いところにあったのだが、この作品ではますます枝葉をそぎ落として冬木立のようになった武骨な文体で出来事が淡々と語られるようになっている。ある意味で、まるで刑事調書のような観さえある。主人公の描き方も、どこか冷めたところがある。

 ここには「十四の侠客岩吉の本音」、「独断と偏見と冷汗三斗」、「親殺し自訴、灰色の決着」、「御三家付家老五家の悲願」、「魔物が棲む町」、「この辺り小便無用朱の鳥居」、「仁和寺宝物名香木江塵の行方」、「師走間近の虎が雨」の八作が収められているが、それぞれの顛末があまりにも淡々と綴られているので、特にこれといった記憶には残りにくいものとなっている。

 もっとも、「居眠り紋蔵」自身も、あまり事件には関わりたくないと思っているので、こうした記述は主人公にあった記述の仕方ではあるだろう。しかし、このシリーズの初期の頃に比べれば、少なくともわたしにとっては面白味がなくなったような気がする。

 こうした感想は、読者であるわたしの状態や状況にもよるのだが、設定や主人公像が面白いだけに、枯れすぎていて、ちょっと残念な気がした。

2011年6月10日金曜日

坂岡真『うぽっぽ同心十手綴り かじけ鳥』

 あざみ野の「山内図書館」に行って、書架に並んでいるたくさんの本を見るたびに、豊かな文章で、言葉のひとつひとつをたどる度に後から後からぽろぽろと留めなく涙がこぼれ落ちていくような、魂の奥底を深く揺さぶる美しい物語が記されている書物がどこかにないだろうかと探す。

 ひとりの小さな読書人として、自分の読書の遍歴はそういう物語を探す巡礼の旅のような気もする。高校一年生の最初の期末試験の時、勉強するという習慣がなかったわたしは、寮生活の中であまりに時間をもてあまし、生まれて初めて小説でも読んでみようかと思い立って、先輩の部屋を訪ね、2冊の小説を借りてきて読んだのが読書遍歴の最初だった。その時借りて読んだのは、ゲオルギュー『25時』と島崎藤村『夜明け前』だった。

 そして、その2冊の本に本当に深く感動し、同級生たちが試験勉強をしているのを横目で見ながら、徹夜で読み続け、素晴らしい世界があることを知って、洋の東西を問わずに次から次へと読み続けた。時代はちょうど思想の季節の時代で、わたしの読書は、その後は思想と哲学に傾き、文学作品も哲学的に読むようになってしまったが、「心を揺さぶる豊かで美しい物語」をずっと模索し続けてきたような気がする。

 一方で、理系の学生としてあわよくばノーベル賞を目指すような実験に明け暮れ、他方で思想と哲学を極めようとずいぶんとあくせくし、公害問題やベトナム戦争の問題と関わりながら、現実の人間と社会の問題から今の道に進むようになったが、「美しい物語」への憧憬は、今も続いている。

 そんな思いで図書館に足を運ぶのだが、なかなかそうした物語に出会うことはないので、今もって手当たり次第に乱読する状態が続いている。ここに記しているのは、その中でも、気楽に無聊の慰めとして読んでいる本に過ぎないのだが、アラビアンナイトの「千夜一話物語」のように、孤独な夜の楽しみを与えてくれる書物である。

 そんな感慨を抱きながら図書館の書架を眺めていて、坂岡真『うぽっぽ同心十手綴り かじけ鳥』(2007年 徳間文庫)が文庫の書架にあったので、借りてきて読んだ。

 これは『十手綴り』シリーズの最後の七作品目で、このあと『十手裁き』のシリーズへと続くのだが、手柄を立てることも出世することも、金儲けをすることにも関心がなく、同僚からは「昼行灯」とか、歩くことしか能がない呑気者の意味で「うぽっぽ」と渾名されながら、情け深く、真実に接する者にどこまでも寄り添おうとする主人公の長尾勘兵衛の姿が克明に浮かび上がるような作品になっている。

 主人公の長尾勘兵衛の妻「靜」は、水茶屋で働いていた女性で、勘兵衛が惚れて結婚し、ひとり娘「綾乃」を設けるが、わずか一年で理由もわからないままに失踪し、勘兵衛は男手一つで愛娘を育て上げる。「綾乃」は勘兵衛の拝領同心屋敷を間借りして医院を営んでいる豪放な医者である仁徳のもとで医者を志す女性に成長し、勘兵衛と同じように武骨な定町廻り同心である末吉鯉四郎と恋仲となり、この作品ではいよいよ二人の祝言が行われるようになるのである。

 だが、二人の祝言を前にして総出で紅葉狩りに出かけた先で、鯉四郎は何者かに刺され、毒が回って昏睡状態に陥ってしまう。鯉四郎の看護を医者の仁徳と綾乃にまかせ、勘兵衛はその犯人を捜し出すことに奔走する。そして、そこに強盗団の企みがあることを知っていくのである。

 その探索の傍らで、勘兵衛は、かつてこの強盗団の一員で、唯一捕縛されて遠島となり、恩赦で帰って来て、自分が残した娘に会いたいと密かに願っていた錠前破りの男と出会う。彼の娘は、強盗団に育てられ、強盗の一味なっていたことを勘兵衛は探り出す。強盗団の首領は娘を質にして錠前破りの男に再び強盗に加わるように強要する。そのことを知った勘兵衛は、ひとり、強盗が狙っていた蔵にひそみ、強盗団を一網打尽にして、錠前破りと彼の娘の再会を果たしてやり、錠前破りの心情を打ち明けてその父娘に救いの手を差し伸べるのである。

 ここには、男手一つで慈しんで育てた娘を嫁にやる勘兵衛とその娘の「綾乃」、そして遠島の刑を受けて帰って来た錠前破りと父親に捨てられたと思っていたその娘の二組の父娘の姿が描かれている。それは、どちらも父と子の愛情溢れる姿で、その切々とした思いが二組の父娘の姿を通して描き出されるのである。

 昏睡状態に陥っていた鯉四郎は、回復し、綾乃と祝言をあげる。その鯉四郎が、周囲から「うぽっぽ」と馬鹿にされる義父を尊敬し、彼を助けていく姿も描かれ、勘兵衛を中心にした温かみのある人間関係が築かれていく様も物語に味を添えるものになっている。

 第一話の表題「穴まどい」は、冬眠するかどうか迷いながら冬を迎えてしまう蛇の姿をさすもので、八丈島送りとなり、恩赦で帰って来た錠前破りが、娘に会いたいが会えないという戸惑いの中にあることを差すものとなっている。その辺りの構成のうまさは光っている。

 第二話「きりぎりす」は、どうにもならない借金を抱えて夜逃げする者を逃がしてやる遁科屋(夜逃げ屋)が絡んだ仇討ちの話で、手ひどい高利貸しのために両親が自死してしまった姉妹が、なんとかしてその仇を討とうとするのを、勘兵衛が、単身、高利貸しのところに乗り込んで助けていくのである。勘兵衛がそのことに関わるのは、失踪した妻の「靜」が残した銀の簪が高利貸しの手代によって殺人に使われ、その簪をたよりに失踪した妻の手がかりを探し出そうとして仇討ちを企てていた姉妹に行き着くからである。勘兵衛は、ずっと妻の行くへを探し続けているのである。

 第三話「かじけ鳥」は、妻の手がかりを求めて出かけた先で起こった絵師の殺人事件に出くわし、そこに枕絵を描かせて楽しんでいた旗本の異常な色欲があるというもので、勘兵衛は、この旗本に手を貸していた商人の手によって罠にはまり、殺されかける。だが、その窮地を何とか脱して一味を捕縛するのだが、失明して瞽女となった女性の悲しい人生が盛り込まれ、彼女が預かっていた枕絵の下絵で、町方が手を出すことができない旗本に鉄槌が降ろされるようになるという筋立てが、この話を一味も二味も違ったものにしてくれている。

 勘兵衛は、九死に一生を得て事件の落着を迎えるが、妻の「靜」の手がかりは失われ、寂しさは募るばかりである。だが、ある日、その「靜」がひょっこり帰ってくる。勘兵衛が探し続けていることを迷子塚で知ったからである。帰って来た「靜」に勘兵衛は何も尋ねずに、「ずいぶん、長いあいだ、迷子になっておったな」と一言言う(318ページ)。なんとも主人公らしい台詞で、このシリーズに一つの区切りがつけられている。

 本書には、この三話が収められているのだが、三話とも、物語が醸し出す雰囲気が柔らかい。文学的な技法も優れているが、その柔らかさがなんとも言えずいい味で、わたしにとってはいい読後感を味わうことができた作品だった。

2011年6月8日水曜日

南原幹雄『見廻組暗殺録』

 梅雨らしいといえば梅雨らしい雨模様の空が広がり、高い湿度が少々気分を萎えさせる。ひとつひとつのことにじっくり取り組みたいと願っているのだが、なかなかそうもいかない忙しない日常があって、この日常を早く切り捨てたいという思いが再び鎌首を持ち上げたりする。今頃の季節は仕事や生活に疲れを覚える時期からかもしれない。

 昨夜は、南原幹雄『見廻組暗殺録』(1995年 徳間書店 1998年 徳間文庫)を読んだ。

 幕末の騒然とした京都で跋扈した新撰組については、それぞれの人物についても含めて数多くの小説や研究書もたくさん出されて、いわばひとつの定説のようなものも出来上がっているが、同じ江戸幕府の京都守護職松平容保の配下におかれて、新撰組と並んで京都治安部隊であった京都見廻組については、一般には、せいぜい、坂本龍馬暗殺の実行部隊ではなかったかというぐらいでしか名前が挙がってこないところがある。

 京都見廻組は、1864年(元治元年)に、騒然としていた京都の治安維持のために幕府の軍事教練所であった「講武所」出身の旗本や御家人の次男・三男から隊員を募集して組織され、新撰組と並んで京都守護職の管轄下に置かれた特殊警察のような組織であった。最初の組織の長は、蒔田広隆と松平康正で、構成員は蒔田広隆の浅生藩(現:岡山県)の藩士と旗本であった松平康正が募集した幕臣で、後に増員されたりしている。松平康正などは、僅か数年で辞任し、組織の長は数年ごとに変わっている。しかし、実質的な指揮官は「与頭」と呼ばれる佐々木只三郎で、佐々木只三郎は、幕府「講武所」師範で小太刀の名手であったと言われている。

 この佐々木只三郎の下で京都見廻組は長州藩士殺害などを行っていくが、新撰組に比して遅れがちな行動しかとれなかったとも言われる。ちなみに、この佐々木只三郎は龍馬暗殺にも関係したと言われるが、真偽は定かではなく、龍馬の暗殺には政治的な裏があったと、わたしは思っている。

 坂本龍馬暗殺について記せば、明治2年になって函館で捕縛された元京都見廻組の組士だった今井信郎が佐々木只三郎以下七名で龍馬を襲ったと供述し、明治44年にも同じく見廻組士だった渡辺篤も龍馬暗殺に加わったと明かしたことから(二人の証言には食い違いがあって信憑性に欠けるところがある)、京都河原町の醤油屋(酢屋)の近江屋で龍馬を襲った人物の名前として、佐々木只三郎、今井信郎、渡辺吉太郎、高橋安二(次)郎、桂早(隼)之助、土肥仲蔵、桜井大三郎(今井の供述には渡辺篤は出てこない)などの名前があがり、今井の供述では、佐々木は階下で待機し、今井と土肥、桜井は見張り役だったという。

 この供述の信憑性は薄いところがあるのだが(幕府側は龍馬殺害の禁令を既に出しており、幕命によって動く見廻組が組織をあげて暗殺したということなどは考えにくいなど)、たとえこれらの見廻組が龍馬暗殺の実行犯だったとしても、龍馬に対してはいくつかの思惑が働いており(薩摩の大久保利通などは薩土同盟の後、「目障りごわんどんな、あん男は」と龍馬に対して目を光らせたと言われる)、その後の明治政府のあり方などを考えると、政治的な裏があったのではないかと思えてならないのである。

 それはともかく、今井信郎の供述に出てくる桜井大三郎と桂早(隼)之助いう人物の名を借りて、南原幹雄は、この『見廻組暗殺録』では、主人公を旗本家の次男で京都見廻組の組士となった若い「桜井千之助」を登場させ、彼を主人公にして、彼が見廻組に入隊するところから坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺するところまでを描いているのである。

 桜井千之助の父親が幕府の御使番として京都巡視中に何者かに殺されるところから物語が始まるが、桜井千之助は、その父親殺害の犯人を捜し出すためにも、募集があった見廻組に入隊するのである。そして、京都で、見廻組と新撰組との対抗意識を含めながら、剣の遣い手として活躍し、長州が起こした「禁門の変(蛤御門の闘い)」や桂小五郎を追い詰めることなどを交え、祇園の芸者との恋と父親の仇探しも絡めて、物語が展開していく。

 この物語では、佐々木只三郎は「佐々木唯三郎」になっており、桜井千之助の父親を殺したのが中岡慎太郎になっていて、坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺が仇討ちでもあったということになっている。中岡慎太郎の描き方や歴史的事件や人物に対する理解があまりに通説的すぎるところなどに、いまひとつ納得がいかないところがあるのだが、幕末の京都の状況や新撰組と見廻組の立場や対抗意識、血気に満ちた青年らしさなどが踏まえられて、「物語」としての面白さは充分にある。だから、どこまでもフィクションであることを承知しながら読む必要がある。

 京都見廻組は、政治に利用され翻弄させられた青年たちだったので、そのあたりも掘り下げられるともっと面白かったかも知れない。勤王にしろ佐幕にしろ、幕末は青年の純粋さがほとばしり出たものとして描かれることが多いのだが、考えようによっては、単なる権力争いに過ぎないとも言えるのである。今の政争もあわせて、人の争いの姿はつくづく変わらないと思ったりもする。

 日本の社会は、明治維新と第二次世界大戦後に再生の大きな機会をもったが、いずれも人の思惑が優先されてしまった。人は自らの手に「力」を握りたがる。

2011年6月6日月曜日

諸田玲子『幽恋舟』

 梅雨の合間の夏日となった。昨日の夕方から延々と眠り続け、夜中に目が覚めて、地方局の記者の視点で民放が作製した震災のドキュメンタリー番組を見たりしていた。頭を垂れて沈黙することしかできないことを、あえて伝えなければならないジレンマの中で記録として残された映像に記者の良心的な姿勢が感じられて、けっこう真剣に映像を見ていた。

 それはともかく、土曜日に諸田玲子『幽恋舟』(2000年 新潮社)をけっこう気楽に読んでいたので、ここに記しておく。

 これは、中年の寄合旗本で舟番所に勤める男が、自分の娘と同年齢で三十ほども歳の違う娘に惚れ、「その娘に降りかかった人殺しの嫌疑を晴らすために奔走する」(218ページ)物語で、その背景に、小藩のお家騒動があったり、人の狂気があったりして、中年男の恋に対する逡巡が混ざり、単なる恋愛時代小説物ではないが、中年男の一途な恋がいじらしくさえ感じられる仕上がりになっている。

 時代の設定が、高野長英が捕らえられて自死した2年後、江戸幕府が崩壊していく前の1848年とされて、旧体制の終わりと新しい時代の幕開けが実感として感じられ始めた頃になっているのも盛り込まれているし、閑職の舟番方を勤めながら人生のあまり希望を持てなくなった中年男が、身分や地位や立場などを越えながら次第に恋にのめり込んでいく姿が描き出されている。ただ、この時代の設定がなくても、この作品は書けただろうとは思う。

 主人公の杉崎兵五郎は、千七百石の旗本寄合(寄合というのは無役の旗本)で、かろうじて役を得て、舟番所の御番衆として努めているが、勤めは名ばかりで閑職に過ぎなかった。ところが、彼が勤番の時、一艘の幽霊船のような小舟が御番所を通り過ぎるのを目にする。その舟には目を見張るような美貌の少女とその付き人らしき少女が乗っていた。そして、その舟が再び通りかかった際に、舟番役としてその舟を追いかけるが、その舟に乗っていた美貌の少女が突然舟から身を投げてしまう。

 杉崎兵五郎は彼女を助け出し、事情がありそうなので、自宅に連れ帰って養生させる。少女には狂気があるという。しかし、彼にはそうは思えない。彼は彼女に思いが傾いていく。そして、少女の狂気の基と抱えている事情を友人の同心の手を借りながら探り出し、そこに小藩のお家騒動が絡んでいたことを知っていくのである。少女もまた彼に思いを寄せていくようになる。

 彼は、自分の思いを抑えて少女の縁談話を進めるが、縁談話を依頼した女性のもとで行儀見習いをすることになった時、その女性が殺され、少女が犯人とされてしまうのである。彼はその疑いを晴らすために奔走する。実は、そこには少女の付き人として奉公していた娘の悲惨な生い立ちと狂気がひそんでいたのである。

 こうして事柄は解決してハッピーエンドで終わり、彼の息子に新時代の到来を予感しながら結末を迎えるのだが、時代小説のひとつの典型のようなものだろうと思う。人生を諦めかけねばならない中年になって、恋をし、それにのめり込むことができる男は幸せ者だが、信頼できる男として彼に思いを寄せる少女も、様々な自分の問題を抱えながらも一途に思っていくことによって、この恋は成り立っていき、それがハッピーエンドを生んでいくのだが、実際は、それが難しいところに男女の問題があるだろう。しかし、作品としては、場面場面で作者の力量がよく発揮されて、あっさりと読める作品になっている。だれしもこういう恋をしてみたいと思うような作品ではある。

2011年6月3日金曜日

高橋義夫『意休ごろし-投げ節お小夜捕物控』

 久しぶりに晴れ間が覗いたので、洗濯をしたり掃除をしたりしていたら、あっという間に時間が過ぎていった。ひとつのことをするのに時間がかかるようになったからだが、時間がかかるというのは、無聊を感ぜずにすむ天の配剤だろうとも思ったりする。
 
 昨夜、児戯に等しい国会の茶番劇を「地に足がつかない根のない社会」の典型のように感じて眺めながら、やがてこれがこの国の人間にとって大迷惑を及ぼすことに繋がることを覚えて愕然としたりした。この国の政治から哲学が失われて、もうどれくらい経つだろうか。深く考えたわけではないが、末期の徳川幕府の老中の姿を見るような気もした。

 そういうことを感じながら、高橋義夫『意休ごろし-投げ節お小夜捕物控』(1995年 中央公論社 2000年 中公文庫)を読んだ。書物の頁数はそんなに多くないし、短編連作なのだが、なぜか読むのに時間がかかった。江戸中後期の火付盗賊改与力の「踏ん張り」のようなものを描いたものである。

 池波正太郎の『鬼平犯科帳』で著名になった江戸中後期の火付盗賊改役で、「本所の平蔵さま」とか「今大岡」とか呼ばれて人々に慕われた長谷川平蔵こと長谷川宣似(はせがわ のぶため-1745~1795年)の死去後、わずか一年余の期間に過ぎなかったが火付盗賊改役を任じられたのは森山源五郎(孝盛)という人で、どうも長谷川平蔵を敵視していたところがあったようだし、文人で狂歌師として著名だった蜀山人こと太田南畝(1749-1823年)が登用試験である「学問吟味」の最初の受験の時に、成績が抜群だったにもかかわらず彼を嫌って落とした上役だったようで、狭隘な人物像しか浮かんでこないのだが、その人の下で新規に火付盗賊改方となった若い与力の活躍を描いたものが、本書である。

 森山源五郎の下で新たに火付盗賊改廻り方与力として登用された若い妹川数馬(せがわかずま)は、ぼや騒ぎの最中に起きた殺人事件の現場に出かけ、そこでであった町方の同心に素人と馬鹿にされて闘志を燃やし、事件の解決に臨むが、規約を重んじ現状維持を図る上司の森山源五郎のやり方ではどうにもならなくなり、同僚の書物役与力である吉羽清一に相談し、長官の森山源五郎は嫌っているが森山には内密にして探索のための付人(密偵)を使うしかないと言われ、前任の長谷川平蔵の元で与力をしていた山辺友之丞を紹介してもらう。この山辺友之丞は、優秀な与力として働いていたが平蔵の死去に伴って免職となり、釣り三昧な生活をしているところなどから「竿月」と名乗ったりしていた人物で、妹川数馬は、彼からさらに付人(密偵)の「お小夜」を紹介される。

 「お小夜」は、深川の芸者であり、当時の流行歌である投げ節の師匠などをしているが、裏では私娼たちのとりまとめ役などもしており、弥次郎という用心棒もいる。竿月の愛人でもあり、竿月は家をほったらかしにして彼女のところに入り浸ることもある。

 こうして、妹川数馬とその手下同心である相沢銑二郎、同僚の吉羽清一、山辺竿月、お小夜、そしてお小夜の用心棒である弥次郎の五人で、ぼや騒ぎの最中に小料理屋の夫婦を殺し、金を奪ったのが、辻番でぼやを消し止めた男であることを突きとめたり(「腐れ縁」)、「髭の意休」と呼ばれていたやり手の女衒(女性を売る)が殺された事件に、奥州黒岩郷の代官による手ひどい女漁りの背景があることを明白にしたり(「意休ごろし」)、次々と夜鷹が無惨に殺されていく事件に女の狂気が隠されていたり(「どでごんす」)、役者の奇妙な素振りから強盗団の一味に繋がっていることを突きとめたり(「謎坊主」)、火事で焼け死んだはずの息子が帰ってきたという大店の強盗事件(「初穂勧進」)や蔭間(男娼)茶屋の主殺害事件(「三筋の鳴子」)の真相を暴いていったりするのである。

 ただ、表題が「投げ節お小夜捕物控」とあるわりには、物語の中心は「お小夜」ではなく、あまり理解のない上司の下で、上司に不満を持ちながらも、青年らしい熱意で事件の解決を行おうとする妹川数馬が主人公で、それなりにまとまった面白さはあるが、事件にうごめく人間の業の深さや社会的人広がりなどはあまり感じられないし、登場人物像もいまひとつ深く描かれないのが残念な気がする。

 この作者の『花輪大八湯守り日記』が面白かっただけに、少し残念な気がした。若干の物足りなさが後を引いた。

2011年6月1日水曜日

米村圭伍『山彦ハヤテ』

 梅雨の重苦しい空が垂れ込めて、肌寒い。厚めのポロシャツやカーディガンなどを引っ張り出し、ズボンも少し厚めのものを着用しているが、ひやりとした寒さがある。やはりどこかおかしな具合だとつくづく思ったりする。終わりのない仕事に明け暮れている。
 
そういう中で、米村圭伍『山彦ハヤテ』(2008年 講談社)を面白く読んでいたので、ここに記しておくことにした。

 米村圭伍の作品は、最初の『風流冷飯伝』(1999年 新潮社)を初めとして、これまでいくつか読んできて、歴史的な考証を踏まえながらも奇想天外な発想によって、軽妙な語り口で物語が戯作として展開される面白さを感じてきたが、この『山彦ハヤテ』は、歴史的な事柄についての考証が影をひそめながらも、心優しく山中や市井を放浪する小藩の藩主の姿を、事情があって山中で暮らす「ハヤテ」という少年の姿と共に描き出して、その小藩のお家騒動の顛末を作者独自の風合いで展開したものである。

 父の後を継いで奥羽の小藩の藩主となった三代川正春は、最初のお国入り(領地に行くこと)の時、藩の実権争いをする家老たちの争いのために、信頼していた家臣から裏切られて山中で命を狙われることになる。偶然が幸いした形でそれをなんとか切り抜けたが、意識を失って倒れてしまう。その山は御留め山(出入り禁止の山)で、彼の命は風前の灯火となってしまうのである。

 だが、その時、彼は、その山中でひそかに暮らしていた「ハヤテ」という少年に助けられる。「ハヤテ」は、新田開墾に携わった水呑百姓の子であったが、台風で母親を亡くし、博打と酒に溺れてしまってついには強盗となった父親から捨てられ、追われて逃げ出し、人の出入りが禁止されている御留め山に逃れて、ひとりで何とか生きのびていた少年だった。過酷な体験が彼に生きのびる知恵を与えていた。

 その「ハヤテ」に助けられた三代川正春は、「ハヤテ」との山中での暮らしの中で、初めて自分の身を心底心配してくれる人間に出会ったことを感じたし、孤独に生きてきた「ハヤテ」も、自分を受け入れてくれる人間に出会い、二人の信頼は深まっていく。また、物怖じしない三代川正春が、ある時、骨をのどに詰まらせて死を迎えるばかりになっていた狼を助け、その狼との信頼も深めていくのである。

 だが、異母弟を藩主に据えて藩の実権を握ろうとする家老と我が子を藩主にしたいと切望する義母が放った追っ手が迫り、またそれに対向することで藩の実権を握ろうとする国家老の探索が進んで、三代川正春は「ハヤテ」と分かれて城中に戻らなければならなくなる。

 正春が無事に城中に戻ったことで、彼を殺そうとした家老一派の陰謀は頓挫するが、今度は自己の保身のために美貌の女性を使って正春を自家薬籠中のものにしようとする国家老によって、性の懊悩の中に突き落とされたりするし、義母は変わらずに彼の命を狙い続ける。心優しい彼は、異母弟を大事にし、義母を処罰することを躊躇していたが、義母は、我が子を藩主にすることに執念を燃やし続けていたのである。

 国家老の企みに気づいていたので、美貌の女性にかしずかれて性の懊悩に悩んだ正春は城から逃げ出し、そこを義母が放った刺客に狙われるのである。その時、寂しさに耐えきれなくなって正春に会いに来た「ハヤテ」と正春が助けた狼、そして、城の下肥を引き取っていた百姓の娘に助けられていく。そして、「ハヤテ」は、偶然知り合った鎧作りの老人から弟子になることを勧められ、弟子入りするのである。だが、弟子としての学びがつらく、彼は逃げ出して再び山中に帰ったりするし、三代川正春は、国家老の企みを知りつつも美貌の女性の魅力に負けて彼女を側室にしてしまったりするのである。

 こうして時が巡り、三代川正春が再び参勤交代で江戸表に帰ることになり、「ハヤテ」を弟子にしたいと願った鎧作りの師匠も、再び「ハヤテ」を弟子にする機会を与えるために、自分の作品を江戸に届けて欲しいと依頼し、参勤交代の荷物持ちということで「ハヤテ」も江戸に出ることになる。だが、その途中でも、義母が放った刺客が彼の命を狙い、大勢の命を巻き込むような策に出てしまう。

 しかし、いくつかの偶然が重なったり、「ハヤテ」や彼についてきた狼の助けがあったりして義母の陰謀はすべて頓挫し、義母は自分の望みが立たれたことを知って自死する。「ハヤテ」もまた師匠から依頼された物を盗まれ、それを巡っての一騒動に巻き込まれたりする。そして、そこで、騒動の基となった男が自分を捨てた父親であることを知ったりする。

 こうした騒動の中で、正春の異母弟は、慕っていた異母兄を殺そうとしたとはいえ、その母親の心情を思い、また兄のことを思い、出家の道を選び、「ハヤテ」もまた再び手に職をつけた立派な大人になるために再び鎧職人の弟子としての道を歩み始めることになるのである。

 この作品は、こうしたいくつもの話が軽妙に、しかも、あまり無理がなく、いいテンポで進められるが、登場する人物の多くが、ある場合には自己の保身に走ったり、出世や権力を握ろうとしたり、現実を生きのびるために画策したりするにしても、主人公を殺そうとする義母を含めて、「心優しい」人間たちである。そして、人の心の「さびしさ」ということが物語の全体を流れていき、人の寂しさが人によってしか癒されないことが語られていくのである。

 米村圭伍という作家は、人が孤独であり、その孤独の寂しさのゆえに人の温もりを求める姿を軽妙な語り口の中で記す作家である。わたしは彼のそういうところをひどく買っている。その意味で、この『山彦ハヤテ』は、なかなか味のある作品だと思う。