2011年9月30日金曜日

山本周五郎「ちいさこべ」

 今日は少し雲もかかっているが、このところずっと秋らしい穏やかな天気が続き、嬉しい限りである。過ごしやすい天気だと心も穏やかになる。明日から仕事も少し立て込むのだが、穏やかなままで乗り切れればいいと思ったりする。

 先日から読んでいた山本周五郎『ちいさこべ』(1974年 新潮文庫)を昨夜遅く読み終えたので記しておこう。文庫本初版は37年も前に発行されているが、今の時代小説とは異なって文学的にも思想的にも作者の挑戦のようなところがある中編集で、文学がまだ思想を語り得た頃の息吹を感じたりした。

 この『ちいさこべ』には、表題作の他に、「花筵」(1948年)、「ちくしょう谷」(1959年)、「へちまの木」(1966年)の四編が収録され、表題作の「ちいさこべ」は、先に読んだ『山本周五郎中短編秀作選集3 想う』(2006年 小学館)に収録されていたので、ここでは割愛する。

 「花筵」は、恵まれた藩の重職の家庭に育った「お市」という女性の数奇な運命を描いたものである。「お市」は、藩政改革を志す心優しい夫に嫁ぎ、身重となって婚家や夫の愛情を感じながら日々の生活を送っていたが、夫が志した藩政改革が頓挫し、夫の行くへがわからなくなという事態に陥る。彼女は、婚家の義母や義弟とともに藩の捕縛を逃れ、その近郊の農家で筵に花模様などを入れる花筵を工夫して制作したりしていく。だが、洪水に見舞われて、義母を助けるために愛児を失うというつらい経験をしなければならなかった。しかし、どこまでもひたむきに夫を信じ、義母との暮らしを立て直し、夫が残していた藩の重職の不正を記した書物を、彼女が作製した花筵のおかげで藩主とのお目通りがかなうようになり、身を挺して藩主に届け、それによって藩政の風向きが変わり、夫が生きて復帰できることがわかり、信じ続けた夫との再会が果たされていくのである。

 日本の女性の健気でひたむきな姿を描き続けた山本周五郎の『婦道記』の流れの中にある中編であるが、「お市」が洪水で愛児を失う姿が、「山が焼ければ親鳥や逃げる.身ほど可愛いものはない」という人間の自己保身の業のようなものを背負う姿として描かれたり、彼女に想いを寄せる男が登場したりして、「お市」が決して単純に夫を信じ、ひたむきに生きるだけではないことが描き出されている。だが、そういう中でこそ「お市」の夫や義母などの愛情に自己を確立して健気に生きる姿が光っていくのである。

 これは、長編の要素をいくつかもち、ある意味であっさりと流されているところを膨らませればもっと深みのある作品になったのではないかと思ったりした。

 「ちくしょう谷」も、どこまで人は自分に悪を働いた人間をゆるせるのか、人間の救いとは何かという思想の深みに意識的に挑戦した作品で、あまりに主人公が理想的な人間として描かれすぎて、文学作品として成功しているとは言いがたいものがあるが、山本周五郎がこういう作品を書こうとした意図はよくわかるような作品だった。

 若い頃は短気な暴れん坊だった朝田隼人は、江戸での剣術の修行中に、勘定奉行を務めていた兄が果たし合いで殺されるという事件に遭遇し、兄が公金を使い込んでいたという理由で朝田家の家禄が半減され、国元に返されることになる。だが、兄の死には謎が残り、生前の兄から送られてきた書簡で、隼人はその真相を知っている。

 しかし、彼は若い頃の面影が一切消え去り、人と決して争わない温厚な人物となって戻ってきていた。兄は無実のまま殺されていたが、彼は真相を暴露して仇を討つこともせず、優しい深い眼差しで周囲を見るだけである。彼は、力や正義で生きることが人の幸せをもたらさないことを知っている。どこまでのひたすら優しく生きようとする。

 そんな彼が、藩の犯罪者を隔離した「ちくしょう谷」と呼ばれる所があることを知り、その「ちくしょう谷」と呼ばれて隔離され、人々から軽蔑されている人々を何とかしたいと願って「ちくしょう谷」のある山中の木戸番頭として赴くことを願いである。その木戸番には、自らの公金の使い込みを隠蔽しようとして兄を忙殺した男もおり、その男から度々命を狙われるが、隼人は一切争うことも男の罪を暴くこともせずに、ただ「ちくしょう谷」に暮らす人々を何とか教育して、人間らしい暮らしを取り戻させようとしていくのである。「ちくしょう谷」に暮らす人々は、ただ自らの食欲と性欲の欲望のままに生きている人たちであった。

 朝田隼人の努力は、なかなか実らない。特に「ちくしょう谷」の人々の性欲はすさまじく、これを理性で押さえることは不可能に思える。そういう中で、木戸番と城下を結ぶ谷の道が壊れ、その修復作業をすることになる。兄を忙殺した人間は、これを機として隼人の命を狙い、失敗して谷底に落ちようとする。朝田隼人はすべてを知っていながら、自分の命を狙った男を憐れに思い、これを助け、その罪のすべてをゆるしていくのである。

 朝田隼人の努力は実らず、かれは「ゆるす人間」として穏やかさを保ちながら生きていくが、「人が何を為したかではなく、何を為そうとしたか」で人を量ろうとする山本周五郎の人間観が集約されていると言ってもいいかもしれない。しかし、それは美しすぎる。

 「ゆるす」ということについて語ることができるとすれば、人は自分に加えられた悪が本当にひどいときには、その悪をゆるすことはできない。ただ、ゆるそうとする精神の努力があるだけであり、その努力が人の精神を高みに引き上げるだけである。

 「ちくしょう谷」という閉鎖され、疎外された世界を背景にして人間の業や罪を描き出す試みは、優れて社会と時代感覚のある試みとなっているが、文学作品として少しもったいない作品になっている気がしないでもない。

 「へちまの木」は、山本周五郎が62歳の時の作品で、急逝する一年前の作品だが、旗本の三男として生まれ、武家の生活から抜け出そうとして、いかがわしい瓦版屋で働きながら、世の中の人々の生態を知っていく青年の話で、「人はすべて迷子ではないか」という青年の実感が込められている作品である。青年は武家の生活が嫌になり、かといって市中で暮らすこともうまくいかず、結局、彷徨していくことになるが、迷子は同時に求める者であり、落ち着き場のないままに放浪するのが人生かも知れないという作者の若干の疲労感が伝わってくるような作品だった。

 山本周五郎の作品には、どの作品でも感じるのだが、作者の実存の反映のようなものがあり、思想的に苦慮しながら作品を生み出していった苦労がにじみ出ている。その意味で、彼の作品は文芸ではなく文学作品と呼べるだろう。彼はとことん優しく、その優しさ故にする苦労をよく知っている作家であるに違いない。

2011年9月28日水曜日

千野隆司『主税助捕物暦 玄武斃し』

 日毎に秋の深まりを感じる日々になっている。日中の爽やかさと朝夕の冷え込みが漸次に訪れ、虫たちの恋の羽音も次第に少なくなってきた。秋桜が風に揺れる様は何とも優しい。

 26-27日と外出の少し気ぜわしい日々だったのだが、ようやく今日から2~3日はいつもの日々に戻り、ゆっくりした気分でパソコンの前に坐ることができるようになった。この間に、千野隆司『主税助捕物暦 玄武斃し』(2010年 双葉文庫)を読んでいたので記しておくことにする。

 これは、このシリーズの八作目の作品で、二作目の『天狗斬り』(2005年 双葉文庫)と四作目の『虎狼舞い』(2007年 双葉文庫)を前に読んで、飛び飛びの読書となったが、浮気をして夫婦関係が破綻しそうになった主人公の北町奉行所定町廻り同心である楓山主税助が、様々な事件の探索をしながら夫婦関係をどのようにして修復していくのかも綴られて味わいのある内容になっていた。本作では、その夫婦関係は修復され、妻とひとり娘との暮らしは平穏を保たれている。

 筆者の筆力と物語の構成力は、書き下ろしとは思えないほどの緻密さがあって、本書でも、「背中にひびを切らす」と言われるほど歩きまわって事件の探索する定町廻り同心である楓山主税助が、さらに事件の核心に迫るために丁寧に一歩ずつ探索していく過程が綿密に記されていく。

 事件は、米問屋の主が何者かによって袈裟懸けに斬り殺されるところから始まり、それを見ていた主税助の手下である冬次の身重の女房が目撃し、続いて同じような手口で旗本の息子が殺され、また別の旗本が狙われていくという連続殺人事件である。

 主税助は、目撃者である冬次の女房を守るため、事件の真相に迫ろうとするが、殺された米問屋の主と次の殺された旗本家の息子や他の旗本家との繋がりがわからず、あれこれと探索を重ねていく。その謎解きの過程が一歩一歩記されていくのである。そして、ようやくにして、彼らが数年前の甲府勤番の折にある不正事件を告発し、その告発された者の子息が犯人で、逆恨みによる殺人だとわかっていく。犯人の子息は、双子で、互いにアリバイを立証したりして巧妙に立ち回るし、剣の腕も相当の凄腕だった。主税助は、緊迫した状況下で、この双子の兄弟と対峙していくのである。

 本書の大まかな筋立ては以上のようなことなのだが、それらが人間の微妙な心情の動きと共に描き出されているので、物語が何とも言えない妙味のあるものとなっている。たとえば、主税助の手下で、事件を目撃した身重の女房を必死で守ろうとする冬次について、次のような一文がある。

 「親兄弟のない天涯孤独の身の上で、ぐれて町の嫌われ者だったときには、しょせん冷たい目でしか見られなかった。いないものとして遇されることなど珍しくもなかった。そういう暮らしと比べれば、(恋女房をもらい、子どもが生まれるという今の暮らしは)天と地ほどの違いがある」(58ページ。括弧内はわたしの解釈)
 
 こういう冬次についての描写があって、冬次がいかに必死で女房を守ろうとしているのか、女房の尻に敷かれながらもそれを喜ぶ冬次の人柄などが十分に伝わるように描かれている。そういう人間に対する視点のようなものが作者の優れたところだろうと思う。

 そして、主税助の生命を賭けた闘いで事件が解決し、冬次の女房が無事に出産の準備に入り、それを主税助や女房、ひとり娘などが祝うところで物語が終結する。主税助とその女房、冬次とその女房の二組の夫婦の姿が中心となり物語が展開されるので、読後感が単なる時代小説以上のものがあるのである。最近の時代小説の捕物帳物、あるいは同心物の良いところが、この作品でも十分にある作品だった。

2011年9月24日土曜日

逢坂剛『道連れ道輔2 伴天連の呪い』

 時折雲がかかって陰ったりするが、お彼岸にふさわしい爽やかな秋晴れの日となった。運動会でもあったのだろう、体操服の幼稚園児が疲れたようにして歩いているのが見えたりする。昨日、先の台風で飛び散った街路樹の銀杏の葉を片づけながら、秋が深まっていくなあ、と感じたりしていた。

 夕方から夜にかけて、逢坂剛『道連れ彦輔2 伴天連の呪い』(2008年 文藝春秋社)を面白く読んでいた。この前に出されている『道連れ彦輔』(2006年 文藝春秋社)を読んでいないので、人の道連れになるという面白い稼業をして糊口を潤している鹿角彦輔(かづのひこすけ)や、友人でお小人目付(御家人などの武家を取り締まる)をし、彦輔に仕事を持ってくる神宮迅一郎とその手下で彦輔と行動を共にする藤八、彦輔の住む裏店の隣に住んで扇のを作り売り歩きながら狂歌に勤しんでいる「勧進かなめ」、また、その狂歌仲間である金貸しの「鞠婆」など、物語を構成している人物たちの背景についての詳細がわかないが、これを読んだだけでも、これらの五人の主要人物たちが、鹿角彦輔を中心にして気のあった遠慮のない仲間であり、特に「勧進かなめ」と彦輔は互いに想いを抱気ながら過ごしていることがよくわかるようになっている。

 本書には「あやかし仁海」、「面割り」、「新富士模様」、「秘名春菊斎」、「使いの女」、「伴天連の呪い」の六話が連絡の形で収録されており、さすがに物語の展開と筆力は相当なもので、娯楽時代小説としての面白さが十分にある。

 第一話の「あやかし仁海」は、妖しげな仏力によって娘たちを虜にしている仁海という人物の手から、彦輔が知恵を使って娘たちを取り戻していく話で、娘たちは自分の意志で仁海のもとにいるので、どうにも取り戻す手段がなかったのだが、彦輔が仏力には神力ということで、徳川家康が神君として祀られている東照宮のお札を使って仁海を打ち負かしていくのである。妖しげな僧である仁海は、娘たちの意志を操り、それによって大金をせしめようと企んでいたのである。

 第二話「面割り」は、本書の中では最も読み応えのある話で、本書の中心人物の一人でもある「勧進かなめ」のこれまでの人生が記されている。事の発端は、東海道蒲原宿で押し込み強盗のひとりを「勧進かなめ」が知っているのではないかということで、火盗改めから確認を依頼されたことにある。蒲原宿で押し込み強盗を働いた三人のうち、二人は既に死亡し、残る一人を知る者が蒲原宿で飯盛女(娼婦)をしていた「かなめ」という女性であることを聞きつけた火盗改めが、ずけずけとそのことを暴露して、彦輔の隣に住んで、彦輔に想いを寄せながら世話をし、これまでの意見の解決にも一役買っていた美貌の「勧進かなめ」に疑わしい人物を確認して欲しいと依頼するのである。

 「勧進かなめ」は扇師だった父親の謝金のために蒲原宿で飯盛女として売られ、押し込み強盗のひとりと寝屋を共にして、その押し込み強盗が逃げる際に女連れの旅人を装う目的で連れ出され、そのときにもらった十両で自由の身となり、江戸に出てきて扇を作って売る仕事をしながら生活をしていたのである。

 鹿角彦輔をはじめ、「かなめ」の周囲にいる者たちはそのことを知るが、過去のことなど問題にせず、「かなめ」のまっすぐな性格やきっぱりとした姿などを大事にし、今の「かなめ」が「かなめ」と言い切って、押し込み強盗を確認に行くという「かなめ」と共に押し込め強盗の犯人と目される人物がいる熊谷まで出かけるのである。

 熊谷宿で、押し込め強盗と目される人物は、問屋場(人馬の継立などをする所で、今でいえば駅)で帳付け(事務)として真面目に働き、周囲からも信頼されていたし、「かなめ」はもしそれが事実でも自分が自由になるきっかけを与えてくれた恩義があるので、知らぬ振りを装うつもりでいた。

 しかし、追い詰められた彼は、ついに本性を現し、人が変わったようになって「かなめ」を人質にとって逃げようとする。彦輔は「かなめ」を助けるために、彼の捕縛に手を貸すのである。

 この物語の主人公たちは、実にさっぱりとして爽やかである。現在は過去の集積であるが、現在の姿が良ければそれでよいし、過去のことはたとえそれば過ちであっても問題とはならないことになる。だから過去を恥じることは少しもない。人にはそれぞれ事情がある。ただそれだけのことである。こういう人間観と人生観に立つ者は、真にあっぱれである。それが見事に著された作品である。

 第三話「新富士模様」は、当時流行していた富士山信仰を背景にして、新富士として詣でられていたところに行くという武家の妻女の共をして行くことになった彦輔が、藤八、かなめ、鞠婆なども連れて行くことにし、道中を共にするが、武家の妻女の後をつける者があった。それは武家の妻女の夫で、自分の妻が役者と浮気しているのではないかと疑い、悋気を激しくしていたのである。だが、役者と同衾していたのは妻女ではなく、その下女であったという話である。武家の妻女は夫が疑っていた役者ではなく、夫の部下と浮気をしていたというおまけのようなものがついている。

 第四話「秘名春菊斎」は、神宮迅一郎がお小人目付として、ご禁制の春画を春菊斎と名乗る絵師が描き、それが御家人ではないかと疑い、その人物の真相をさぐるように鹿角彦輔に依頼し、藤八や鞠婆とともにそれを探っていく話で、彼らが春菊斎のいると思われる家に踏み込んでみると、そこには御家人と彼を育てた乳母がいて、両方共に自分が春菊斎で、お咎めを受けると言い出すのである。

 第五話「使いの女」は、ある寺まで行くという尾張藩奥女中の使いの女との道行きの仕事を引き受けた彦輔が、その使いのうらに奥女中同士の権力争いが隠されていることを知り、陰湿な企みを打ち砕いていく話である。

 第六話「伴天連の呪い」は、むかしキリシタンが磔にされた所で腕の立つ武士の死体が発見され、額に十字が刻印されていた。「勧進かなめ」と鰻を食べに行く途中でその事件に出くわした彦輔が、お小人目付としてその事件を探索する神宮迅一郎と出会い、その事件の真相を暴いていく話である。

 調べてみると同じように額に十字の刻印を押されて金を取られた事件があり、そこにキリシタンの女性と彼女を利用して金をとろうとした武士がおり、その武士から女性を守るために行き会わせた富永隼人が切ったことがわかっていくのである。富永隼人は鹿角彦輔とも知り合いの用心棒稼業をする武士で、彦輔が彼の命を救ったことがある武士である(このあたりは1冊目に出ているのだろう)。そして、事件に関わっていた女性は自死をして事件が終わるところが結末となっている。

 娯楽時代小説としての要素がふんだんに盛り込まれているし、すっきり読める文章とテンポがあって、しかも、人がきっぱりと生きていく姿が描かれて、過不足なく面白い作品だと思った。「勧進かなめ」が、過去を持つ女性であるが、可愛らしく素晴らしい女性であるところもいい。

2011年9月22日木曜日

永井義夫『算学奇人伝』

 昨日は台風の暴風圏に見舞われて、すさまじい雨と風が吹き荒れていたが、夜になると虫の声が響き、今日は一転して少し汗ばむくらいの好天となった。このあたりが台風の暴風圏になることはめったにないことだが、「な~に、過ぎてしまえばたいしたことはない」と道路に散乱した街路樹の銀杏の葉や枝、吹き寄せているゴミなどを横目に蒼空を見上げて思う。

 昨夕は嵐の中で、いつもと変わらぬように夕食を取りながら、永井義夫『算学奇人伝』(1997年 TBSブリタニカ)を面白く読んでいた。

 巻末の略歴によれば、1949年に福岡で生まれ、その後、出版や広報の仕事に携わられて作家活動をはじめられたらしい。本書は1997年の開高健賞の受賞作品で、江戸時代の算学(和算)を題材にして、歴史的事実を巧みに取り入れ、作者が創作した算学にたけた吉井長七という主人公の活躍を描いたものである。時代は江戸後期が設定されているが、本書にはその時代の社会変動の影響などは記されていないので、江戸時代であればいつでも良かったのだろうと思う。

 主人公である吉井長七は、江戸近郊の宿場として栄えた千住の青物問屋の長男として生まれたが、江戸見物の時に露天の古本屋で見つけた吉田光由の『塵劫記(じんこうき)』(1627年に出された算学書)と出会い、算学に熱中するようになり、ついには江戸時代の算学者として著名な関孝和の系統に当たる長谷川寛の算学道場に入門したのである。

 入門に際し、弟に家督を譲り、跡目問題を起こさないために生涯結婚しないことを近い、江戸の本所で実家から生活費を支給されながら算学三昧の生活を送っていた。言ってみれば、結構な身分なのである。彼自身も世俗のことにはほとんど関心をもたない、いわゆる純粋な学者肌の人間であった。

 その吉井長七の下男で、実家から派遣されている治助が、負ければ負けるほど賞金が倍になってもうかるというサイコロ博打にはまっていることを知り、長七は、単純な確率論から、それが巧妙に人を騙す手口であることを見破っていくのである。このサイコロ博打を行っていた人物との算学勝負が本書の一本の筋になっている。

 また、実家のある千住に住む文化人である佐加話鯉隠(さかわ りいん-坂川屋鯉隠居、坂川利右衛門、山崎鯉隠居)から、千住の氷川神社にかかっていた算額(和算の問題と解答を額にして掲げて奉納したもので、難問だけで回答もなく、いわば算学の挑戦状のようなものになっていた)が大金の隠し場所を示すものらしいから、それを解いてくれ、との依頼を受けて、千住に赴いてその謎を解き、大金が隠されていた場所を特定したりする。こちらも、ピタゴラスの定理(三平方の定理)を使った数学としては初歩的なものである。

 こういう算学者吉井長七の算学を用いた実用的な活躍の顛末が描かれていて、最後には伝記のような今日譚が記されている。もちろん、吉井長七二関する部分は、作者の創作である。

 わたしも元々理系であったために、今でも数学や物理学、化学には強い関心があり、江戸時代の和算も相当なものであったと思っていて、ここで取り扱われている確率の問題や三平方の定理は、謎解きと言うほどのものではないが、算学を行う人間の純粋さぶりが著されているのが面白いと思いながら読んでいた。

 かつて1970年代に世俗のことに関心を示さずに専門領域の学問に熱中する学者を揶揄して「専門馬鹿」という言葉が使われたりしたが、本当の「専門馬鹿」というのは、人間としても極めて優れていると思っている。そういう人間を描いた本書が、1990年代に著されたこと自体に意味があると思う。ただ、学問一筋に生きようとする人間にも、それなりの人生の悩みが強くあるのだから、欲を言えば、あまり単純化せずに、作品としてもう少し膨らみが欲しいような気がしないでもない。

 これを書いているうちに、空がにわかに曇りはじめた。秋の天気はとかく変わりやすい。朝干した洗濯物は取り込むべきかも知れない。

2011年9月20日火曜日

片岡麻紗子『祥五郎想い文 孫帰る』

 接近している台風の影響で雨が降り続き、一転して肌寒い日となった。コーヒーが切れてしまったので近くのスーパーまで出かけたが、長袖を着用していても若干の寒ささえ感じる。

 このところ仕事上の細々したことや他の原稿もあって、これを記すことができなかったが、片岡麻紗子『祥五郎想い文 孫帰る』(2007年 徳間文庫)を読んでいたので、記しておくことにした。

 この作品には筆者の紹介のようなものが何も記されていなかったので、ちょっとネットで調べてみようと思ったら、作者本人の「まさの蔵」というブログがあることがわかり、これが作者の人柄がよくわかるブログで、人間味の豊かななかなかの人だと思って、すっと読んでしまった。

 『祥五郎想い文 孫帰る』は、丹波志川藩(作者の創作だろう)の江戸留守居役添所(こういう役職があったのかどうか、わたしは無知)に勤める兄と共に国元を出て江戸で暮らす滝沢祥五郎と、彼が想いを寄せる「香江」を中心にしたそこはかとなく温かい物語で、本書では「源平店の殺し」、「孫帰る」、「稀代の錺(かざ)り師」、「待つ女」の四話が収められている。

 本書は、このシリーズの一作目で、「香江」がなぜ江戸で暮らしているのか、滝沢祥五郎とどういう関係なのかなど、作品に出てくる人物たちの関係と顛末が描かれているが、こうあったら素敵だろうな、と思うような筆使いに作者の息吹のようなものを感じた。

 「香江」は、長い間待って(12年も)、相愛の堀田左門とようやく結婚できたが、結婚してわずか三日後に、左門の元妻で少し精神に異常を来していた女性に襲われ、「香江」を助けようとした左門が殺されてしまう。左門を殺した元妻が藩の上役の娘であったこともあって、かつて左門の小者をしていた治平を頼って江戸に出てきたのである。治平は、武家奉公を辞めた後、江戸で商売をはじめ、絵双紙屋を営みながら家作ももっていた。左門の小者だったときに左門に助けられ、恩義を感じて、自分の家作に「香江」を住まわせて、なにかと助けているのである。

 滝沢祥五郎は兄に主馬と共に「香江」の幼馴染みであり、また、夫だった堀田左門と剣術道場の同門として左門を尊敬していたが、左門の不幸な事件をきっかけにして、兄が江戸留守居役添所勤務を命じられると同時に江戸に出てきて、なにかと「香江」の相談相手になっているのである。祥五郎はずっと「香江」に想いを寄せていたが、「香江」が尊敬していた左門と結婚し、二人の幸せを願っていたところに事件が起こったので、自分の想いを殺しながら、江戸で独りで暮らす「香江」の幸せを願っているのである。

 物語は、「香江」が治平の店を訪ねた帰りにひとりの若い娘が堀の縁で膝を抱えて泣いているのに気づき、仔細を聞いて自分の家に連れて帰って泊めたところから始まっていく。膝を抱えて泣いていた娘は「おあき」といい、母親が男を作って逃げたために、水茶屋に勤めながら義父と暮らしていて、その義父が酒代のために売られるということになり、義父のもとから逃げ出してきていたのである。

 ところが、翌日、「香江」の所を訪れた祥五郎がその話を聞いて、娘と一緒に義父の処へ行ってみると、その義父が何者かに殺されていたのである。そして、「おあき」のために義父殺しの真相を明らかにしようと祥五郎が奔走していくことになる。

 その間に、祥五郎の働きで、「おあき」が想いを寄せる水茶屋の客が、実は「おあき」を騙して売り飛ばそうとしていることがわかったりするし、「おあき」の義父を殺したのが「おあき」の母親の新しい男であったりして、「おあき」は絶望のどん底に落とし込まれるが、「香江」が「おあき」を引き取って一緒に暮らすことにするのである。

 第二話「孫帰る」は、「香江」の家に出入りする花売りの老婆が、育てて奉公に出した孫が帰ってくるのを心待ちにしていたところ、その孫が帰ってきた顛末が物語られる。ようやく老婆のもとに帰って来た孫は、やがて本性を現してひどい生態を曝すようになる。だが、その孫は実の孫ではなく、孫が奉公先でなくなったことをいいことに、老婆が貯めているという金目当ての男に過ぎなかった。老婆は孫の死を聞いて愕然とするが、やがて三歳で上方に里子に出したもうひとりの孫が老婆を迎えにやってくるというところで、ハッピーエンドとなる。

 第三話「稀代の錺(かざ)り師」は、流行の高額の簪を作る飾り職人からあずかった簪を失った小間物問屋の手代の少年と雨宿りで一緒になったことから、失った簪の行くへを探る顛末が物語られ、小間物問屋の娘を騙していた性悪男の姿が浮かび上がったり、小間物問屋の主人と娘の関係、あるいは高価で売れるために傲慢になっていた飾り職人の姿が描かれたりして、事件の山と谷が織りなされている。

 第四話「待つ女」は、「香江」が仕立てを依頼した女性が、言い交わした男を十年も待っていることがわかり、その男の行くへを祥五郎が探していくという話である。言い交わした男は、実は、仕立てをする女性の金が目当てで、金をだまし取って惚れた遊女を身請けし、材木問屋の主人におさまっていたことがわかり、しかも自分の過去を知る者を殺して安泰をはかっていくような男だった。祥五郎は、その女性のためにきっぱりと話をつけにいくのである。

 こういう物語の中で、祥五郎ぼ「香江」に対する切ない想いが記され、また、「香江」と暮らすことになった「おあき」の成長などが記されていく。

 読みながら、たとえば、自分が行くところがあり、その行った先でも快く受け入れてくれるような場所をもつ人間というのは、たとえ自分の想いが届かないにしろ、幸せに違いないなどと、たわいもないことを思ったりした。

 書き下ろしのためか、もう少し文章にテンポがあるといいと思ったりしたが、作者の優しさがにじみ出るような作品で、物語の構成も面白いと思った。他の作品もぜひ読んでみたい。

2011年9月15日木曜日

山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集5 発つ』(2)

 蒼空が広がって、日中は真夏並みの暑さだが、朝夕はそこはかとない風に秋の気配を感じ、夜ともなれば虫の声がしきりにする。窓を開け放って、虫たちの恋の羽音を聞いたりすると、「あわれ秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ-男ありて 今日の夕餉にひとりさんまを食ひて 思ひにふけると」いう佐藤春夫の『秋刀魚(さんま)の歌』を思い起こしたり、「秋の日の ヴィオロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し」というヴェルレーヌの『落葉』を思い起こしたりする。

 特に、佐藤春夫の『秋刀魚の歌』の終わり、「さんま、さんま、さんま苦いか、塩つぱいか。そが上に熱き涙をしたたらせ さんまを食ふは いづこの里のならひぞや」の言葉を口にすると、泣けて泣けて仕方がなくなる。

 閑話休題。山本周五郎中短編秀作選集5 発つ』(2006年 小学館)の続きであるが、「鵜(う)」は、謹慎を命じられて江戸から国元へ送られて釣りばかりして日を過ごしている布施半三郎が、ひとけのない岩場で釣りをしていた時に、川で泳いでいる不思議な女性と出会い、彼女への想いを募らせていくが、女性は事情を抱えており、彼との約束をしたまま暴れ馬に蹴られて死んでしまい、半三郎はいつまでの彼女との約束を思って切ない日々を過ごしていくという話である。愛する者を待つことの切なさと、意を決して新しい歩みへ飛び出そうとした時に死んでしまう女性の不運が「愛のすれ違い」という現実に起こりうることの中で描かれている。

 「水たたき」は、お互いに深い愛情を持っている夫婦が、ふとしたことで危機を迎えていくが、それぞれの想いを知り、再び深く結ばれていく話である。料理人の辰造は、同業の料理屋で女中をしていた「おうら」に惚れ、所帯を持った。「おうら」は実に素直で可愛い女性で、「水すまし」のことを水の上でくるくる廻っているから「水まわし」とか、水をならしているようだから「水ならし」とか、「水たたき」とか言って、周囲に笑われても、顔を赤らめてみんなと笑うような、天性の明るさをもった女性だった。辰造は、そんな「おうら」にべた惚れだし、「おうら」も、「うちの人のためなら何でもしてあげたいし、うちの人のためならどんなことだってするわ、ほんとよ」(301ページ)というくらい惚れている。

 辰造は、若い頃に放蕩の限りを尽くし、「死んでしまえば一切がおしまいだ。生きているうちにできるだけの事を経験し、味わい、楽しむのが本当だ」(289ページ)と思い、「おうら」にも浮気ぐらいしてみたらどうだと言ってしまう。

 辰造が言うことは何でもしてあげたいと思っている「おうら」は、辰造が何度もそのことを言うので、辰造の弟子の徳次郎のところにいくが、どうしてもできない。「おうら」はその日から帰ってこず、辰造は、「おうら」が徳次郎とできて出奔したと思い込み、自分が馬鹿なことをしでかしたと気も狂わんばかりになって、人とのつきあいも絶って気難しい料理人としての日々を2年あまり続けていくのである。

 だが、彼が唯一気安くつきあうようになった浪人の勧めで、徳次郎のもとを尋ね、「おうら」が浮気などせずに行くへ不明になっていることを知り、行くへを探す。「おうら」は、徳次郎の処へ行った後で、自分を恥じて川に身を投げ、助けられたが病んで2年余の月日を叔母のところで伏せっていたのである。辰造は病床の「おうら」を迎えにいく。その描写が絶妙で、「おうら」という女性を真に素晴らしく描き出すものになっているので、以下に記しておこう。

 「『叔母さん』という声が唐紙の向こうで聞こえた。「―誰か来ているの」
 いせ(叔母さん)は『ああ』とあいまいに答えた。
 辰造はいせを押しのけるようにしてあがり、そっちへいって唐紙をあけた。家具らしい物もなく、四隅になにかつくねたままの、うす暗い、病人臭い六帖の壁よりに、薄い継ぎはぎだらけの蒲団を掛けて、おうらが仰向けに寝ていた。・・・・・・
 『あら、あんただったの』とおうらは微笑しながら云った、『あたしいま、誰かしらなあって思っていたのよ』
 『おうら』と辰造の喉で声がつかえた。
 『とんまなことしちゃったの』とおうらは云った、
 『自分でもあいそがつきたわ、どうしてこんななんでしょ、―でも叱らないでね、あたし大川で、水たたき飲んじゃったのよ』
 辰造は『おうら』と云いながら、乱暴に枕元へ坐った。
 するとおうらが手を伸ばし、彼はそれを両手でつかんだ。
 『水たたきって云うと、叔母さんは笑うのよ、違うんですって』と云いながら、おうらは急に寝返って、辰造の手へ顔を押しつけて泣きだした、『でも、水たたきでいいんだわねぇ、あんた』
 『そうだ』と辰造が喉で云った、『そうだよ』
 おうらは身をふるわせて泣き、爪のくいこむほど強く、辰造の手を握りしめた。
 ―堪忍しろおうら、と辰造は心の中で云った。そしてうちへ帰ろう。」(305-306ページ)

 この一場面に、山本周五郎が描く人間の美しさがすべてあるような気がする。描写と心情の描き方が絶妙で、生きているのが嬉しくなってくるような物語である。

 こういう「おうら」のような最も愛すべき女性の姿は、この選集の2巻目『惑う』に収められている「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」の三連作に登場する天真爛漫な「おしず」という女性でも描かれ、数多くの女性像の中で、わたしが最も気に入っている女性像である。わたしにとってもであるが、山本周五郎にとっても、こういう「おうら」や「おしず」のような女性は宝物のような存在だったに違いないとさえ思う。

 「将監さまの細道」は、岡場所の娼婦に身を落としながらも、どうしようもない男と離れることができない女性の姿を描いたもので、人の愛情の悲しい性(さが)が描き出されている。

 「枡落とし」も、人の愛情の悲しい性(さが)に縛られる女性が描き出されるが、こちらは娘と相愛になった職人によって助けられていく話が展開されている。「枡おとし」は、1967年の作品で山本周五郎の最後の短編である。この年の2月に、山本周五郎は仕事場で死去している。

 小学館から出されているこの選集は、この5巻で終わり、巻末に略年譜が収められて、山本周五郎の全作品が年代ごとに一覧として載せられており、多くの作品を残したことが一瞥できるようになっている。

 この選集は、作者の息吹のようなものが感じられる編集となっており、個人的に、この時期にこういう選集で改めて山本周五郎の作品を読んだことに特別の感慨がある。昔、もうずいぶん前に、論理ではなく情で生きようと決め、薄い情ばかりで今日に至っているが、人の温かさを直接的に描く山本周五郎の作品は、見る人には見え、わかる人にはわかるということを深く味わわせてくれるものだった。

2011年9月13日火曜日

山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集5 発つ』(1)

 昨日は仲秋の名月で、冴え冴えとした妖しく美しい月が東の空で輝くのを眺めながら、いろいろなことを考えたりした。まことに「月見る月」だった。満月の下でゆっくりと時を過ごす。それはわたしにとっては至福の時間である。

 さて、山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集 4 結ぶ』は、夏の間に読んだのだが、ここに記すことができずに図書館に返却したので、ここに収められていた書名だけを記しておくことにして、『山本周五郎中短編秀作選集5 発つ』(2006年 小学館)を読んでいるので、そのことについて記しておきたい。

 『山本周五郎中短編秀作選集4 結ぶ』に収められていたのは、「初霜」、「むかしも今も」、「おれの女房」、「寒橋」、「夕霞の中」、「秋の駕籠」、「凌霄花(のうぜんかずら)」、「四日のあやめ」、「かあちゃん」、「並木河岸」、「おさん」、「ひとごろし」で、いずれも懸命に生きていこうとする人々を描いた作品だった。

 『山本周五郎中短編秀作選集5 発つ』に収められているのは、「野分」、「契りきぬ」、「はたし状」、「雨あがる」、「よじょう」、「四人囃し」、「扇野」、「三十ふり袖」、「鵜(う)」、「水たたき」、「将監さまの細みち」、「枡落し」の十二編である。

 「野分」は、出羽国新庄藩の大名の妾腹の子として生まれた又三郎が料理茶屋で働く「お紋」とその老いた祖父と知り合い、跡目相続の争いに巻き込まれながらも、侍を捨てて「お紋」と暮らそうとする話で、やむを得ずに後目を継がざるを得なくなる状況の変化で、「お紋」との別れや「お紋」の祖父の思い、「お紋」の一筋に又三郎を慕う想いなどが描かれた作品である。

 「契りきぬ」は、家族を失って娼婦とならざるを得なくなった女性が、堅物の北原精之助を落とせば自由の身になれるという賭けに乗って、策略を巡らせて精之助に近づき、精之助の家にうまく潜り込んでいくが、次第に本気で惹かれていき、精之助の大きく包みこんでいくような愛に触れ、苦悶の中で過ごしていく姿を描いたものである。精之助はすべてを知って女性を包みこんで愛していこうとするが、自分の心の醜さを知った女性は精之助のもとを去る。結末は決してハッピーエンドではないが、精之助の一筋の大きな愛とそれに応えるために彼のもとを去ることを決心した女性の思いが綴られていく。

 「はたし状」は、自分の婚約者が突然婚約を破棄して親友のもとに嫁いでしまった男の苦悩と親友との友情を描いたもので、そこには、親切ごかしに近づいてくる別の友人の画策があったのであり、その画策をようやく知りことができて新しい出発をするまでの姿を描いたものである。

 この三編は、人間のあまりに「純」な思いが描かれているために、いくぶん人間についての青さが残る作品であるが、たとえば、「野分」の中で、「お紋」の老いた父親の話を聞いた又三郎が「老人の一生はごく平凡な、どこにでもある汗と貧苦と、涙と失意とで綴られたものだった、息子夫婦に先立たれ、孫娘と二人で稼いでいる事実だけでも察しはつく、それにも拘わらず、又三郎はそこにしみじみとした味わいを感じた、善良で勤勉で謙遜で、いつも足ることを知って、与えられるものだけを取り、腰を低くして世を渡る人たち、貧しければ貧しいほど実直で、義理、人情を唯一の宝にもたのみにもしている人たち、・・・又三郎はそれが羨ましいほど充実したものにみえ、本当に活きたじんせいのように思えた」(12-13ページ)と思うところは、そのまま、作家としての山本周五郎の、自分が書くべきものとしての決意そのものだろう。山本周五郎は、どこまでもそういう人たちの姿を描こうとした作家である。この作品が敗戦後すぐの1946年の作品であることを考えれば、戦後の新しい出発を山本周五郎はそういう決意ではじめたような気がするのである。

 「雨あがる」は、言うまでもなく傑作で、人生の夢が破れても人々を喜ばせようとした夫とそれを支える妻の深い愛情と理解をまるで絵画のようにしみじみと描き出した作品である。これについては、別のところで記したし、記憶に深く残る作品でもあるので、ここでは詳細を割愛する。

 「よじょう」は、熊本で生涯の最後を送った宮本武蔵に、無謀にも彼の腕を試そうとして殺されてしまった父親をもつ料理人のどうしようもない息子が、兄に叱責されて物乞いとなり、それが周囲に親の仇討ち行為として誤解され、武蔵を遠くに見ながら生活していく話である。偶然の誤解の中で生きることを余儀なくされた男のおかしみと悲哀が描かれている。

 「四人囃子し」は、子どもの頃から出来が良くて評判も良かった平吉とは反対に、どうしようもないと思われていた男が、その平吉を苦しめるために彼が愛した「おたみ」を奪い取り、さらに平吉が「おたみ」を励ますために書いた手紙をネタに平吉を強請ろうとするが、どうしようもないと思われて育った男の悲しみを知る女性によって、新しい人生の歩みをはじめていく物語で、頽廃した雰囲気の中で、やけになっている男と彼を立ち直らせていこうとする女の情が描かれた作品である。

 「扇野」は、江戸からふすま絵を描くためにやってきた絵師と彼に思いを寄せる女性との愛情を描いたもので、恋の切なさに身を焦がしていく二人の姿が、極めて印象的に描かれた作品である。愛の姿は様々だが、恋に身を焦がす女性とそっと見守ろうとする二人の女性の愛の姿が、何とも言えない情景を醸し出している作品だった。

 「三十ふり袖」は、病気の母親を抱えて貧しさのためにやむを得ずに妾となった女性が、自分を妾とした男が、実はまだ結婚もしたことがなく、女性を正式な妻としたいと願っているという男の誠実な愛に触れていくという話である。自分を卑下する女性の複雑な思いと、それを包む男の愛は、ちょうど「北風と太陽」の話のような展開になっている。

 「鵜」以下の作品については、また次に記しておくことにする。何気なく読んでいても、後から考えてみれば、深い味わいをもつ作品、それが山本周五郎の作品のような気がしている。今日もよく晴れていて、日中は暑いくらいで、洗濯日和となった。

2011年9月11日日曜日

山本兼一『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』

 文字通りの、晴れたり曇ったりの蒸し暑い日になった。今年はすっきりした天気というものがなかなかない。

 思いがけずに時間ができたので、昨日読んだ山本兼一『千両花嫁 とびきり屋見立帖』(2008年 文藝春秋社)について記しておくことにする。

 作者は1956年京都市の出身で、本作の舞台も京都三条大橋の通りにある古道具屋である「とびきり屋」となっている。時は幕末で、高杉晋作や坂本龍馬、あるいは新撰組が物語にうまく盛り込まれて登場する。

 主人公は、捨て子として拾われ、老舗の書画骨董・茶道具を扱う道具屋の大店で丁稚奉公から育てられた真之介と、その真之介と駆け落ちのようにして所帯を持った古道具屋の娘「ゆず」の夫婦である。古道具屋で一流の目利きをもつ「からふね屋」で育てられて仕込まれ、二番番頭にまでなったが、「からふね屋」の娘「ゆず」と相愛の仲となり、「ゆず」と夫婦になるために「からふね屋」を飛び出して、懸命に働き、三条大橋のたもとで古道具屋の「とびきり屋」をはじめる。

 「ゆず」には親が決めた茶道家元の若宗匠との婚姻話があったが、それを断って真之介と所帯をもったのである。真之介は、自分の育ての親でもある「ゆず」の両親に結婚を申し入れた際に、「ゆず」の父親の善右衛門も母親の「お琴」も猛反対し、父の善右衛門から「四件間口の店をかまえ、千両の結納金をもってきたらゆるす」と言われて、懸命に働いてそれを実現した。だが、「ゆず」の両親は、千両もの金を作るなど不可能事で、方便として言ったに過ぎないと認めてもらえず、「ゆず」と茶道家元の若旦那との結納が交わされる前に、やむをえず、店に千両を置いてきて、「ゆず」をさらうようにして駆け落ちしたのである。

 「ゆず」は老舗の道具屋で育っただけに、書画骨董・茶道具などの道具の見立てに真之介以上の目利きができ、物怖じしない度胸と決断力もある。そして、その一流の目利きで真之介を選び、彼に心底惚れている。

 こうして、真之介と「ゆず」との新しい夫婦生活が開いたばかりの「とびきり屋」で始まり、彼らの新婚生活、やがて生じる小さな齟齬、そしてそれを乗り越えて夫婦の絆を強くしていく過程が複線となり、新撰組の近藤勇や芹沢鴨、高杉晋作や坂本龍馬などが絡まり、「道具と人間を目利きしていく」、あるいは「本物を見分ける」という主題が展開されていくのである。

 真之介が「ゆず」の結納金として「からふね屋」に置いてきた千両が、軍資金と称して押し入った芹沢鴨によって奪われるが、「ゆず」が桜の産地を当てるという勝負を挑んで奪え返すということが起こったり、高杉晋作と芸者の恋物語が絡んだり、近藤勇が望んだ名刀虎轍を巡る真贋の問題が起こったり、坂本龍馬が「とびきり屋」に宿泊したりするようになったりと、幕末の京都で活躍した人物たちを巡って真之介と「ゆず」の「目利きして本物を見分ける」と言う姿で描き出される。

 本物は、手にしっくり馴染み自然におさまっているということや、人を動かすのは物ではなく心であるということや、あるいは、「大切なんは、しっかりした目で、人と物を見抜くことや。じぶんの目利きさえしっかりしてたら、どんな世の中になっても生きていける」(359ページ)ということが語られていくのである。

 そして、最後に「からふね屋」の総領息子や茶道家元の若宗匠が遊びほうけて新撰組に捕まり、これを真之介が芹沢鴨に「見分け勝負」を挑んで勝って救い出し、真之介と「ゆず」が夫婦として両親に認められ、また、真之介が利休の一番弟子で徳川家康によって切腹させられた古田織部の血筋の者であることがわかっていくところで終わる。

 以前読んだ火坂雅志『骨董屋征次郎手控』も京都の骨董屋を主人公にしたもので、真贋の見極めが重要な要素となっていたが、『骨董屋征次郎手控』の方は、骨董品の売買に絡む人間の欲の問題がミステリー仕立てで描かれていくのに比して、『花嫁千両 とびきり屋見立て帖』は、本物を見分ける目利きを使って、様々な人間の姿を描き、真之介と「ゆず」が爽やかで懸命に夫婦としての絆を強めていくというものになっている。

 文体が簡略で、その簡略さが主人公の爽やかさを伝えるものとなっているので、読みやすい。しかし、人間を見分けるというのは、いつでも難題で、人はその時々の人でしかないから、いくぶん人間像が定形のものになってしまい、幕末の人間像も一般に流布されているものにおさまりすぎている感じが残る。人の評価はいつでも相対的なものでしかないのだから、人間の真贋などはそう簡単ではなく、要は好き嫌いの問題でしかないような気もするが、どうだろうか。真であれ、贋であれ、道具でも人でも、好きであればそれでよいと、わたしは思っている。

2011年9月8日木曜日

宇江佐真理『富子すきすき』

 ようやく昨日から晴れ間が見えるようになり、日中の陽射しはまだ夏の名残が強く残っているが、朝晩には秋の気配さえ感じられるようになり、夜は虫の声が聞こえている。深夜ともなれば、月が冴えてますます秋を感じるようになった。考えてみれば、あと2週間もすれば秋分なのだから、これが普通かもしれない。

 前回の宇江佐真理『通りゃんせ』に続いて、『富子すきすき』(2009年 講談社)を読んだ。これは、「藤太の帯」、「堀留の家」、「富子すきすき」、「おいらの姉さん」、「面影ほろり」、「びんしけん」のそれぞれが独立した六編からなる短編集で、この中では、2003年に『しぐれ舟-時代小説招待席』(廣済堂出版)に収録されている「堀留の家」が、最もわたしの琴線に触れる作品だった。

 一作目の「藤太の帯」は、平安期に近江の三上山の大百足退治の伝説で知られる俵藤太(藤原秀郷-ふじわらのひでさと)の意匠をあしらった珍しい帯が、その帯を手にする娘たちにそれぞれに生きる勇気と力を与えてくれるというもので、因縁話めいた要素を用いながら、商家や武家の娘たちの恋愛や家族、親子の関係などでの葛藤や生き方を柔らかく描いたものである。

 子どもの頃から病がちで病弱だった煙草屋の娘「おゆみ」は、気晴らしの散歩の途中で古着屋に飾られていた俵藤太の百足退治の意匠を凝らした帯が目にとまり、それが俵藤太の子孫に当たる自分を守ってくれるような気がして、買い求める。「おゆみ」は、その後、病を得てなくなってしまうが、まるで死の不安を取り除かれたように安らかに息を引き取るのである。やがて、彼女の手跡指南所で仲良しだった友人たちが形見分けとしてつぎつぎとその帯を手にすることとなる。

 次に帯を手にしたのは、小普請組の貧しい旗本の娘「おふく」だった。「おふく」は思いを寄せている医者の息子が長崎に遊学するということで、自分の思いをあきらめていた。「おふく」の家も俵藤太に繋がる家系だった。父親は「おふく」を妾奉公に出せば小普請組から出でお役が与えられるという出世話をきっぱり断り、「おふく」の幸せだけを願うような潔い男だった。弟は、そういう父親を誇りに思い、ますます精進していくと聞かされる。「おふく」は意を決して、俵藤太の帯を締め、医者の息子の所に行き、二人の結婚が急にまとまっていくことになるのである。

 三度目に藤太の帯を手にしたのは、牢屋同心を父に持つ「おたよ」だった。「おたよ」の家もまた俵藤太の係累に当たる家筋だった。「おたよ」は四人兄妹の末っ子だったが、彼女の父親は彼女の母親が不義を働いて「おたよ」を身ごもったとずっと疑っており、「おたよ」にはつらく当たっていた。三番目の兄の養子先が決まった祝いの夜に、「おたよ」は俵藤太の帯を締めて出たが、それが父親の逆鱗に触れて、父親がずっと疑ってきたことが爆発してしまう。「おたよ」は、締めた帯に手を触れて勇気を出し、この家を出て行くと言いだし、母親も疑われたままではたまらないから自分も出ると言いだし、兄嫁もそんな義父の世話をしたくないから出るといいだし、結局、家族全員が疑いを濃くもった父親の元を出ると言い出す。こうしてすべての膿が出てしまい、家族が再びまとまっていくのである。

 四番目に帯を手にすることになったのは、飾り物屋の娘「おくみ」で、「おくみ」の父親が囲っていた女が身ごもって男の子を産んだために、後目などを巡って両親が離婚するという。そのことでやけになって意欲を失っていたところに、「おたよ」が帯をもってきて、勇気づけ、結局は、両親は離婚するが、その状況を乗り越えていく力となっていくのである。「おくみ」の家も俵藤太に繋がる家系だった。

 五番目の瀬戸物屋の娘「おさと」だけは何事も起こらなかった。「おさと」の家は俵藤太と無関係だったからである。そして、最初に古着屋にその帯を売ったのが、彼女たちを結びつけていた手跡指南所の師匠だったのである。

 人は、それぞれの置かれた状況でそれぞれに生きていくしかないのだが、ふとしたことで生きる勇気を与えられることがある。この作品はそういう姿を描いたもので、「藤太の帯」という勇気の源を得て、死を迎え、愛し、辛さを乗り越えようとする人間の姿を描いたものである。

 次の「堀留の家」という作品が、わたしにとっては一番琴線に触れる作品だった。これは、両親に捨てられたり、早くに両親を亡くしたりして苦労する子どもたちを預かって育てていた堀留にある元岡っ引きの夫婦に育てられた男の子と女の子の話である。

 煙管職人をしていた父親が火の不始末で火事を出してしまい、働き場を失って酒に溺れる日々を送り、そのことに愛想を尽かした母親が妹を連れて逃げ、酒代を稼ぐためにしじみ売りなどをさせられていた弥助は、ついに空腹と身体の不調で路上で倒れてしまうが、元岡っ引きの鎮五郎に助けられる。

 そのときの描写がまことに優れていて、
 「そのまま静かに死んでしまえるならどれほどいいだろうと思った。人の足が目の前を通り過ぎて行くのを弥助はぼんやり眺めていた。
 ふわりと身体が宙に浮いた、と思ったのは錯覚で、弥助は鎮五郎に軽々と抱き上げられていた」(83ページ)
 と表され、こういう登場人物の視点や感覚で綴られるところが、小さな子どもの悲しい状況を良く伝えるものとなっている、とわたしは思う。

 弥助が助けられた鎮五郎の家に幼い女の子がいた。「おかな」という子で、父親が女を作って逃げ、居酒屋勤めをしていた母親も新しい男を作ったが、それがひどい男で、なにかをしでかしていなくなり、母親はその男を追って弟と「おかな」を捨てて出て行き、捨てられた「おかな」と弟が鎮五郎に引き取られて育てられていたのである。

 鎮五郎の家にはほかにも何人かの子どもたちが引き取られて育てられていた。それぞれに「親」への思いなどが錯綜していくが、父親が自分を捨てて逃げ去ったことを知った弥助は、一念を発起させて手習いに励み、やがて干鰯問屋に奉公して一人前になっていく。その干鰯問屋に「おかな」も雇われ、「おかな」は明るい働き者で気に入られていた。

 「おかな」は弥助に思いを寄せ、やがて二人の縁談話も起こるが、弥助は「おかな」の想いを知りつつも、妹のようにして育てられてきたし、両親のある家に嫁いで幸せになってもらいと願って、その縁談を断る。

 その日から「おかな」の態度が一変し、「おかな」はやがて金持ちの老人の後添えとなって干鰯問屋に砂をかけるようにして出て行き、やがて、その老人の家の手代といい仲になって、小さな子どもを残して出て行き、行くへがわからなくなるのである。「おかな」は、自分を捨てた母親と同じような道を歩んでいくのである。

 弥助は、苦労を舐めてきた岡場所の遊女を身請けして嫁にし、またその遊女が気立てが良く、夫婦仲は円満で、鎮五郎がなくなった葬儀の時に「おかな」が子どもを捨てて逃げたことを知り、その子どもを引き取って育てていくことにするのである。弥助は、自分を育ててくれた鎮五郎と同じような道を歩んでいくのである。

 この物語には、愛情を得る者と愛情を失う者が交差するし、「おかな」のようにある時から急に人間が変わっていくようになる姿や、「当たり前」だと思っている者はそれを失い、「有り難いことだ」と感謝していく者はそれを得ていく姿が描かれる。読みながら「涙をもって蒔く者は、喜びを持って刈り取る」という言葉を思い出したりした。これは、そういう作品だった。

 三作目で表題ともなっている「富子すきすき」は、表題の軽妙さとは全く異なり、元禄15年(1702年)12月14日に赤穂浪士によって討ち殺された吉良上野介の妻「富子」の視点で、その事件が回想されていくというものである。討ち入った赤穂浪士たちは、ひとり大石内蔵助の命で国元に向かわせられた者を除いて、四十六人が本懐を遂げて切腹させられたが、吉良家は改易となり、後継者であった富子の孫は信州に流罪となって、そこで若干二十一歳で亡くなっている。

 吉良上野介の妻「富子」は、米沢藩の上杉家に養子に出した綱憲に引き取られて、そこで暮らすことになるが、綱憲も心労が重なって四十二歳で亡くなり、富子もその後を追うようにしてなくなっている。

 この作品では、吉良上野介が閨の中で「富子すきすき」といっていた言葉を胸に、事件後の富子の退場からの赤穂浪士討ち入り事件が語られていくのである。浅野内匠頭がなぜ殿中で吉良上野介に斬りかかったのかの真相は、現在でもまだ謎のままだが、浅野内匠頭の逆上や、将軍であった徳川綱吉の逆上など、すべてが「逆上」のなせる業だという作者の視点は、わたしもそうだと思っている。そして、寂静によって起こる事件ではだれ一人いいことはない、とわたしも思う。

 「おいらの姉さん」は、吉原で産み落とされて引き手茶の手代をしている男と花魁の淡い恋物語で、花魁は逆上した侍によって斬り殺されてしまうが、子どもの頃からお互いをかばい合ってつらい境遇を生きてきた男女が最後に血の海の中で見せるせる愛の美しい姿として昇華されていく物語である。

 「面影ほろり」は、木場で育った材木問屋の息子が、母親の病のために父親の妾の所に預けられ、父親の妾であった深川芸者の気っぷの良さと、まだ八歳に過ぎないが、息子が天性にもつ木場の男の男気が巧みに描かれている作品である。

 最後の「びんしけん」は、学問に長じていたが妾腹の子であったために父親の死と共に追い出されて、裏店で手習所をしている侍のところに、大泥棒の娘が預けられいく話で、吉村小左衛門は、旗本であった父親と女中との間にできた子で、学問は優秀であったが、父親の死と共に母親と一緒に追い出されて、手習所をしながら細々と暮らしていた。真面目で人柄も良いが、人相風体がよくなく、嫁の来てはなかった。貧しいが穏やかな暮らしの中で、母親もなくなった。そこに大泥棒で捕縛された父親をもつ二十歳の娘を、教育をきちんと受けさせるために預かって欲しいという依頼を受ける。

 吉村小左衛門は、自分は男のひとり暮らしだから無理だと断るが、ある時、突然娘が訪ねて来て、やむを得ず引き取ることにする。娘は一所懸命に学んだり、近所と親しもうとするが、気性がまっすぐで、そのために諍いが起こったりする。そして、同じ長屋の意地の悪い女房が、娘が泥棒の子だと聞きつけてきて騒動を起こす。吉村小左衛門は、そのとき、娘をかばうことができなかった。娘が吉村小左衛門の嫁になってもいいと思っていたことを後で知り、慚愧の想いを抱いていくのである。

 これらの短編は、表題の「富子すきすき」が歴史的事件の別の面を示す意欲的な作品であったり、「藤太の帯」のような因縁話を題材にしたものであったり、「おいらの姉さん」のような吉原の恋物語であったり、「面影ほろり」のような気っぷのいい江戸っ子気質を描いたり、それぞれの試みも主題も異なっているのだが、宇江佐真理がこれまで書いてきた作品群の一面をそれぞれによく表しているようにも思う。

 何と言ってもこの作者の文体と持っている雰囲気、描き出す世界が、わたしは好きで、読むと嬉しくなるような作品だと思っている。

2011年9月5日月曜日

宇江佐真理『通りゃんせ』

 紀伊半島を集中豪雨で襲った台風の影響で、午前中は雨模様の天気だったのだが、長い間留守がちだったこともあって、半日ほど家の掃除をしていた。

 昨日の夕方から夜にかけて、図書館で借りてきていた宇江佐真理『通りゃんせ』(2010年 角川書店)を、作者が持つ優れた柔らかな世界を味わいつつ読んだ。これは、江戸時代にタイムスリップした青年を通して時代と人々を描くという、作者にしては珍しい趣向が凝らされているが、作風が成熟してきた感さえある作品だった。

 考えてみれば、歴史時代小説というものは、タイムスリップして歴史上の時代に降り立つようなもので、もし作者がそのような視点で物語を織りなし、歴史と人間を描くことができれば、文学作品として大成功なわけだから、こういう試みは極めて有効だろうと思う。ただ、そのためには、歴史とその時代の人々の暮らしについてのかなりしっかりした知識が必要だし、現代という時代の把握も不可欠となる。その点では、この作品は作者の人間に対する温かな視点が巧みに織り交ぜられて申し分のない出来になっている気がする。

 物語は、北海道から東京に転勤になった大森連という青年が、趣味のマウンテンバイクで甲州街道を北上し、小仏峠の付近で道に迷い、タイムスリップして天明6年(1786年)、まさに天明の大飢饉の最中にある農村に行くというものである。

 タイムスリップした大森連は、武蔵国中郡青畑村の百姓をしている時次郎とさなの兄妹に助けられる。ちなみに、武蔵国(現:府中、多摩、埼玉)には那珂郡(なかごうり)があったが中郡はないので青畑村は、飢饉にあえぐ典型的な農村として作者が創作したものだろう。

 助けられた大森連は、次第に江戸時代の農民の暮らしに馴染んでいくが、洪水の危機に見舞われたり、本格的な飢饉の到来に見舞われたりして、この時代の農民の暮らしのひどさや辛さをつぶさに味わっていくことになる。食べることができなくなって、娘を売る親、売られていく娘、したたかに生きようとする農民など、彼の周囲には様々な生活の姿がある。彼を助けた時次郎は青畑村を領地としていた旗本の中間だったのだが、一揆が起こるのを防ぐために青畑村に遣わされ、農村の五人組の組頭となって農民の暮らしを守ろうとしている人物だった。大森連も、時次郎を助け、励ましながら洪水を防ごうとしたり、飢饉から生きのびる努力をしたりしていく。

 そして、年貢の軽減のために江戸に出てきて、領主である旗本の下で働いたりするが、飢饉は確実に村を襲い、その間、彼に思いを寄せ始めていたさなが夜這いにあって手籠めにされ、大森連が青畑村に帰ってきた時に自死してしまう。江戸時代の厳しい農村で健気で懸命に生きたさなと、現代という時代の中で、まさに現代女性として生きている大森連の元恋人の姿の両方の女性の生き方が描き出されたりする。大森連は、さなの思いを知りつつも、自分が現代に戻ることばかりに性急になり、さなの自死を止めることができなかったのである。

 だが、タイムスリップで歪んだ時は、自然に修復されていく。嵐の中で、大森連は再び現代に戻り、ふとした偶然で、自死させてしまったさなと瓜二つの女性と出会うことになるのである。そして、自分が江戸時代の飢饉で苦しむ人々の中に行ったのは、ただ、この女性と出会うためであったことを知っていくところで物語が終わる。

 天明6年は、老中田沼意次が失脚し、やがて松平定信が寛政の改革をはじめようとする時であり、徳川将軍も家治から家斉に変わっていく政変の時代である。また、天明3年(1783年)に浅間山が噴火し大被害をもたらしたりして人々の窮乏が続いた時代であるが、他方では江戸で狂歌が流行し、田沼時代の爛熟した文化が盛んだった頃でもある。こうした時代の背景も巧みに盛り込まれている。一言で「農民の暮らしは過酷を極めた」と言われるところが丹念に物語として描き出されているので、とても妙味のある作品だと思っている。また、すべての出来事がひとりの女性に出会うためであるという結末も、わたしの好みだ。人の幸せは,愛する者に出会う以外にないと思うし、すべての過去が現在の愛に昇華される時、過去はそれが良かれ悪しかれはじめて意味をもつと思っているからである。

 宇江佐真理の作品は,どの作品を読んでも、その独特の柔らかで温かな世界で満ちていると思う。作者の人間性と視点がこれほど文体に現れる作家も少ないだろう。『富子すきすき』という作品も借りてきているので,次はこの作品を読むことにする。

2011年9月3日土曜日

葉室麟『銀漢の賦』


 大型の雨台風がもたらす影響で、高温多湿の妙な天気が続いている。

 今週の前半、福島の原発被災による避難地域や宮城県北部沿岸の被災地を訪ねたので、しばらく留守が続いた。福島では、立ち入り禁止区域にはもちろん入ることができなかったのだが、飯舘村では、すべての商店や郵便局でさえ閉鎖された無人の静けさの中で、ススキとコスモスが風に揺れ、突然生活を止められた哀しさを感じていた。牛舎にも牛は一匹もいず、風光がのどかで美しいだけに何とも言えないやり切れなさを覚えざるを得なかった。また、宮城県北部の沿岸部の小さな漁村は、まだ復興が手つかずで、「爪痕」が克明に残っていた。

 ただ、今回は会津によることができ、城下町の盆地の美しさに感嘆できた。幕末の悲しい歴史が凛とした風情を造っているのだろうと思う。会津はとても素敵なところだ。歴史が感じられる町というのは、やはりいいものだ。

 閑話休題。この2~3日、葉室麟『銀漢の賦』(2007年 文藝春秋社 2010年 文春文庫)をかなりの感慨を持って読んでいた。「銀漢」というのは、夜空にかかる天の川のことであるが、それと同時に、理想と矜持をもって生き抜いていく男たちの生き様を指す言葉として使われている。

 この作者の作品については、同級生で作詞家のT氏が紹介してくれ、数冊の本もいただいていたのだが、北九州出身の作家らしく九州を舞台にした作品が多くあり、特に、秋月を舞台にした『秋月記』を読みたいと思っていた。九州にいたころ、秋月には良く出かけ、静かな山間の城下町は気に入った場所の一つだった。それを読む前に、この作品を手にした次第である。秋月にしろ会津にしろ、軟弱な心に轍を入れてくれるような場所だと思っている。

 この作品は、文庫版の解説で島内景二という人が「硬質のロマンティシズム」という言葉を使って解説しておられるが、解説の内容はともかく、まさにその言葉通りの作品であると思う。2007年の松本清張賞の受賞作品である。それだけに構成と展開は見事だった。

 これは、西国の月ヶ瀬藩という架空の藩で、家老職にまでのぼり、やがては藩主との確執から職を退くことになった松浦将監という人物と、藩の郡方(地方役人)として生きている竹馬の友である日下部源吾、そして同じ少年期の友人で、やがて百姓一揆の首謀者として処罰される十蔵の三人の男たちの生き様を藩政の変転の中で描き出したものである。それが彼らの少年期の交流を交えて描き出されていく。

 松浦将監は、幼い頃に藩政の権力者であった九鬼夕斎によって父親を殺され、家禄を半減されて母親と共にひっそりと暮らしていたが、文武両面での才能を発揮し、次第に藩の役職を上り詰めていく。日下部源吾は、剣と鉄砲の修行を重ねながら、郡方として藩の新田開発のための川の堰作りに妻子を忘れて邁進し、そのために病気の妻を充分看護することなく失っていく。農民である十蔵は、二人との交友の中で、剣の腕を磨いたり、学問に勤しんだりして、農民たちの厚い信頼を得ていく。

 藩の農政はひどく、やがて飢饉が起こったりして、十蔵はついに百姓一揆を指導していくようになり、郡奉行となった松浦将監がこれを鎮圧し、家老職で親の敵でもあった九鬼夕斎を追い落とし、藩の実権を握っていくことになる。将監の母親も九鬼夕斎の陰謀のために自害させられていたのである。だが、そのために十蔵は死ぬことになる。

 日下部源吾は十蔵のために助命嘆願をするが、松浦将監は自分の立場と藩政を考えて聞き入れずに、源吾は将監に絶交を申し出ることになる。彼らが友情で結ばれた二十年後のことである。十蔵は少年のころに松浦将監に書いてもらった蘇軾(そしょく)の「銀漢(天の川)」の詩を大切にし、自分のことで将監に迷惑が及ばないように決然と死を迎えていくのである。友人の死を踏み台にして出世する将監に怒りを覚えて絶交した源吾は、十蔵の妻子を引き取り、世話をしていく。

 それからさらに二十年、死病を抱えた将監と源吾が腹を割って話す機会が訪れ、藩主の幕閣入りの願望に伴う藩の将来を強く危惧した将監の話を聞くことになる。松浦将監は、一命を犠牲にする覚悟で江戸へ出て、藩の安泰を実現したいと言う。日下部源吾は、その将監の願いを叶えるべく、一切を捨て、自分の命を賭して彼の脱藩に手を貸していくのである。三人の深い友情は、それぞれの立場を認め、それぞれを大切にしながらも、深く潜行していたのである。彼らは、まことに「漢(男)」として生きるのである。

 その「漢」としての姿を描くのに、この作品では蘇軾の漢詩が巧みに使われ、先の「銀漢」の詩も、将監が日下部源吾のために死の直前まで書いていた掛け軸の「玲瓏山(れいろうざん)に登る」も見事な使われ方をして、「玲瓏山に登る」の最後の言葉である「有限を持て無窮を趁(お)うこと莫(なか)れ」も、将監の慚愧と生き方を端的に示すものとなっている。彼らの深い友情の中心にあるのは、何事でも飄々としながらも友人のためにはできる限り、生命さえ賭していく日下部源吾にある、とわたしは思う。この作品には、世間をうまく立ち回る源吾の娘の夫も描かれ、作者の人間観の深さを知ることができる。

 この作品には、単に男たちの生き方を示す展開だけでなく、九鬼夕斎との政争に敗れて隠居している松浦兵右衛門の娘で、将監や源吾への思いを抱きながらも藩主の側室とならなければならなかった志乃(将監は志乃の妹の婿養子となり、松浦家を継ぐ)、将監の母親の千鶴と彼女への思いを持っていた将監の叔父、そして、病死した源吾の妻や源吾への思いを寄せる十蔵の娘の蕗など素晴らしい女性たちも登場する。

 特にいいと思っているのは、生命を賭した将監を守るために自らの生命を賭していく日下部源吾が、蕗のことを考えて彼女を逃がそうとするが、蕗はそれを否んで源吾の側にいて、死地に望んでも彼から離れないという愛情である。この愛情によって、すべてが落着し、将監も江戸で事態を収めて死んだ後、荒れ果てた九鬼夕斎の隠居所の留守番となった源吾と結ばれていく最後の下りは、物語の展開が硬質なだけになごませるものがある。

 
 いずれにしろ、この作品は大した構成力と筆力で描かれた作品であると思う。正当な時代小説のおもしろさが存分にあるような気がした。

 今、急に横なぐりの激しい雨が降ったかと思うと、さっとあがり、蒸し暑さだけがむんむんし始めてきた。まったく妙な天気だ。この天気の中、友人のS氏と「自己満足」の大切さを語り合ってきたこともあり、「大いなる自己満足」に向けてまた始めたいと思っている。