2012年5月21日月曜日

山本音也『コロビマス』


 今朝起こった金環日食は、ここでは雲がかかってわたしは見ることができなかったが、都内では雲の合間で観測できたらしい。猿が驚いていたというニュースが伝わっている。

 昨夜、フルートニストの上野由恵さんとギターリストの新井伴典さんの小さなコンサートがあり、その高品位な演奏にいたく感激した。フルートの超絶技巧ともいえるような演奏や音、表現は素晴らしく、これまで聞いた演奏の中では最高の部類に属するものだった。こういう時間を持てることは素晴らしい。

 それはともかく、図書館の書架をぼんやり眺めていたら、赤い文字で『コロビマス』と背表紙に記された書物が目にとまり、この表題から、これが明らかに江戸時代前期に激しかった切支丹弾圧と、いわゆる「コロビ」と呼ばれる棄教者を描いた作品であろうと思い、読んで見ることにした。

 「コロビ伴天連」を描いた作品としては遠藤周作の『沈黙』(1996年 新潮社)が神と人の愛を描いた名作で、ずいぶん前だが読んでいくつか考えることを与えられたが、遠藤周作が『沈黙』で描いたのは、当時のローマ・カトリックのイエズス会の宣教師であり、高名な神学者でもあったクリストファン・フェレイラ(15801650年)と、棄教した彼を再びキリスト教信仰へと取り戻そうとキリシタン禁教令と鎖国下にあった日本に密航してきたジョゼッペ・キアラ(16021685年)の姿で、特に、ジョゼッペ・キアラを作品では「セバスチャン・ロドリゴ」という名前で描き、「コロビ」を通してのキリスト教信仰が伝える深い神の愛を描いたものである。ここには日本と西洋という風土的にも情緒的にも全く異なった世界での「生き方の問題」も深く描き出されている。

 「戦う教会」とか「教皇の精鋭部隊」とか呼ばれたイエズス会は、1534年にイグナチウス・ロヨラを中心にしてフランシスコ・ザビエルを含むパリ大学の6名の学友たちが結成した修道会で、西欧社会におけるプロテスタントの宗教改革運動に危惧を感じていたローマ・カトリックの機運もあって世界宣教へと乗り出していったのである。もともとイエズス会は、清貧と貞潔、内面の向上による強い信仰的信念と高い教養の獲得を目指すものであったが、世界各地に派遣する宣教師たちの活動と当時の西欧諸国の植民地政策が合致し、宣教の名の下で国家の植民地政策を強力に推し進めるという役割を果たしていったのである。

 世界各地で教育事業を推し進めると同時に、侵略した国の住民を奴隷として本国に送るということもしばしばで、各地ではキリスト教に改宗しない者を異端として異端審問裁判にかけて殺すことも行なったりしていた。もちろん、ローマ・カトリック教会はそのことを認めてはいない。

 日本では、イエズス会の創始者の一人であったフランシスコ・ザビエルが1549年にイエズス会のアジア活動の拠点でもあったインドのゴアから到来して約二年間滞在したが、下克上の戦国期の中で宣教に困難を覚えていた。その後、ルイス・フロイスなどが来日し、フロイスは織田信長や豊臣秀吉らと会見したりしている。当時のイエズス会の宣教方針は、まず、国王や領主をキリスト教に入信させることによって、その国や領民をキリスト教支配下に置くというもので、交易による莫大な利益を餌にして各大名たちと接触を図っていったのである。彼らは、宣教のためには使えるものは何でも使い、武器をさえ売った。キリシタン大名と呼ばれる多くの者たちが洗礼を受けたのは、多分に交易による利益を得るためであっただろう。イエズス会は極めて支配的な思想と方策をとっていたのである。

 そのキリシタン大名の一人であった大村純忠(15331587年)が領内にあった長崎の統治権をイエズス会に託し、南蛮貿易による利益を独占しようとしたことが、豊臣秀吉による1587年のバテレン追放令の直接の引き金となったのだが、続いて徳川幕府による禁教令(1612年と1613年)と鎖国政策、そして1637年の島原の乱を経てのキリシタン弾圧が行われていくのである。

 イエズス会のポルトガル人宣教師フェレイラが来日したのはちょうどこの頃で、彼は1609年に来日して、日本語に堪能であり、また神学者としても高名であったので、日本管区の管区長代理を務めるほどで、徳川幕府のバテレン追放令後も日本に潜んで布教活動を行なっていた。しかし、1633年に長崎で捕縛され、他の四人の宣教師や日本人キリシタンと共に「穴吊りの刑」と呼ばれる拷問にかけられ、他の者たちはすべて殉教したが、5時間に及ぶ拷問の後、彼だけが棄教し、「沢野忠庵」という日本人目を名乗って、それ以後、長崎奉行所の手先としてキリシタン取締に手を貸し、また、幕府の通詞(通訳)などもして、日本人妻を娶り、70歳まで生きた。ちなみに彼と日本人妻との間にできた娘の婿は後に八代将軍徳川吉宗の幕医になっている。

 また、彼の弟子でもあったイエズス会のイタリア人宣教師ジョゼッペ・キアラは、鎖国下にあった日本に来て、1643年に筑前国(福岡)で捕縛されて長崎に送られた。そこで、コロビ伴天連となっていたフェレイラ(沢野忠庵)の協力の下で詮議が行われ、おそらく厳しい拷問も行われたであろうが、ついに彼自身もキリスト教を捨て、岡本三右衛門を名乗り、小石川の「切支丹屋敷」に移されて宗門改に携わったりして、83歳まで生きた。このキアラが、キリスト教教義の欺瞞性を語り、キリスト教布教の真意が国土の征服の準備工作であることを告げたために、幕府の警戒感は一層強まったと言われている。

 遠藤周作の『沈黙』は、神の愛に殉ずるという観点でこのキアラの姿を描き、人の悲しみや弱さに寄り添うイエス・キリストという大きなテーマに取り組んだ力作であるが、今回読んだのは、山本音也『コロビマス』(2003年 文藝春秋社)であった。

 この作者については、本名が山本章で小学館に勤務され、『宴会』とか『ひとは化けもん、われも化けもん』と題する作品があるという本の奥付にあること以外に1944年生まれであることぐらいしか知らないのだが、これは、「コロビ」という人間の内面に深く関わる重い出来事を重く描いた作品だった。

 単なる推測にしか過ぎないのだが、この本の多くは遠藤周作の『沈黙』に追っているところが多くあるのではないかと思う。遠藤周作がフェレイラの言葉として「この国はすべてのものを腐らせていく沼だ」と語ったことが、ここでもフェレイラやキアラが感じる日本の風土と精神描写として多分に取り入れられている。ただ、極めて面白いと思ったのは、フェレイラの「コロビ」の直接的な理由が、「煮鰯が食べたい」ということであり、キアラの「コロビ」が拷問によって傷つけられた肉体を柔らかく包んでくれる「ふとん」にあるということで、「心は強くても、肉体は弱い」ということが真摯に受け止められているというところである。

 ここには、病床にある妻を慈しみながら彼らの尋問に当たる長崎奉行所の与力の内村小佐衛門という穏やかな人物を登場させて、他宗教や他思想を緩やかに認めて生きる生き方を示したり、長崎奉行の大河内正勝という人物による多元的な思想を開示したり、あるいは、フェレイラを見張る目明しでキリシタンの捕縛に異常なほど熱心に取り組んでいた男が、惚れた女がキリシタンとして殉教させるようなことをしでかして、それを悔い、なぜキリシタンがひどい拷問や死も恐れずに死んでいくのかがわかるようになっていくということが描かれたりして、なかなかの力作となっている。ただ、遠藤周作が描いた「キチジロウ」というロドリゴ(キアラ)を売った人物像と重なる部分も多分にある。

 キリスト教の観点から言えば、厳格なあまりに厳罰主義を持ってもって臨んだ当時のイエズス会のあり方には多大な疑問があるし、神やキリストの理解にも皮層的なところが見受けられるのだが、物語としては面白いと思う。わたしは多くのキリシタンが煮えたぎる湯の中に投げ込まれた雲仙の地獄谷に行き、そこに小さな牌が建てられていたのを鮮明に覚えているが、こうした殉教には純粋な魂が宿っていたことは間違いないと思っている。この作品は、時代小説というよりも歴史を背景とした純文学に近い作品だった。

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