2013年12月30日月曜日

野口卓『軍鶏侍』(3)

 年の瀬を迎えて、師走の風が冷たい。今年のすべての仕事をやり終えたと思ったら、もう来年の仕事が始まっているという状態で今年を終えようとしている。無聊を囲うのも辛いものがあるが仕事に追われるのも「しんどい」ものがある。「働けど、働けど」の状態が続くからだろう。書かなければならない原稿の締め切りも迫ってきたなあ。

 それはともかく、少し長くなっているが、野口卓『軍鶏侍』(2011年 祥伝社文庫)の第四話「ちと、つらい」は、大筋からすれば少し脇道にそれたような作品ではあるが、少なくともわたしにとっては感動的な男女の話であった。本書の中では一番わたしの琴線に触れた。

 物語の発端は、園瀬藩の中でも仲人口で自他共に認める大納戸奉行の須走兵馬が、「妻煙たし 女房おそろし組」(いわゆる女房が怖いが、酒を飲むことが好きで、女房に内緒でこっそり酒席を設けたりする藩士たち)の酒の席で、藩内きっての小男と大女をくっつけるという賭けをし、その二人の仲を取りもとうとするところから始まる。

 四尺六寸(1.4メートル未満)しかない弓組の戸崎喬之進(きょうのしん)は、背丈が低いことに合わせて痩せて顔色も青く、見栄えがしないところから「侘助」と呼ばれる人物で、貧弱な体と風采のあがらない顔貌をしていた。他方、鉄砲組の大岡弥一郎の長女多恵は、五尺六寸(約1.7メートル)はある立派な体格をし、胸も大きければ腰もどっしりしている女性で、体が大きいことを恥じてかあまり人前にも出ずに、大きな女という印象ばかりが独り歩きしていた女性であった。喬之進は32歳、多恵は27歳で、要するに一方は嫁の来がなく、他方は売れ残った男女であった。

 その二人をくっつける賭けをした須走兵馬は、それと知らさずに二人を自分の屋敷に呼んで合わせる。だが、二人は黙ったままで、顔も見ずに退屈しているようだった。しばらく様子を見ていると、二人は嬉しそうに笑ったりしていたが、なんで笑ったのかと聞かれても、ただなんとなく愉快だったと答えただけであった。

 戸崎喬之進は、かつては剣術道場で岩倉源太夫以来の逸材と言われた人物であったが、ある試合に勝ったときに師の教えていない技を使ったということで破門され、それ以来、剣を捨てていたためにもはや誰もそのことを覚えていずに、ただ貧相な体格だけが印象に残っていた。他方、多恵は父親に小太刀を習った小太刀の使い手であった。

 だが、この二人が結婚する運びとなったのである。多恵の父親は相手のあまりの貧相さと石高が半分しかない貧しさに反対したが、多恵は、きっぱりと喬之進との縁談を受けたのである。多恵は、一度会った時に、喬之進が見かけとは違い、少々のことには動じない肝が座った人物であり、その発する気を感じていたし、喬之進の物静かな優しさに安らぎを感じていたのである。だれも喬之進の真実の姿を見抜けなかったが、多恵はそれを見抜いたのである。

 小柄で貧相な戸崎喬之進と大柄でふくよかな多恵の婚儀は藩内で話題となった。二人の夫婦仲もよく、多恵は自信を取り戻しかかのように顔を上げて歩くようになっていた。その時になって人々は多恵が美貌の持ち主であることに気がついていったのである。

 しかし、そのことを面白く思わない連中をもいた。それはかつて多恵に婚儀を申し入れて断られた男たちで、自分ではなく侘助と言われるような貧相な喬之進が選ばれたことに腹を立てていたのである。中でも、負けず嫌いな馬廻り組の酒井洋之介は、多恵との話を断られて組頭の次女を妻女にして小頭になったが、妻はぎすぎすした悋気の強い女性であったし、彼自身が剣の使い手だと自認していたから、喬之進を頭から馬鹿にして、事あるごとに侮辱的な言葉を投げつけていたのである。

 喬之進も多恵も、そうした洋之介の暴言を児戯にも等しいことだと受け流していたが、洋之介の侮辱は執拗で、あるとき、夫婦和合のことで侮辱され、喬之進はついに酒井洋之介と果し合いをすることになってしまうのである。

 周囲は、小柄で貧相な喬之進が敗れることを心配する。だが、喬之進は「案ずるでない」と多恵に語る。多恵の父親は、心配になり、立会人を藩随一の使い手であると言われる岩倉源太夫に依頼する。源太夫はそれを引き受け、戸崎喬之進と酒井洋之介の剣の腕は天と地ほど違うから、心配には及ばないと断言する。しかし、多恵の父親も仲人をした須走兵馬もそれが信じられなかった。多恵もまた、夫を信じたいと思うが、不安もあった。

 そして、対決の場。多恵はそこに駆けつけて、夫の代わりに酒井洋之介と対決しようとする。だが、喬之進は「黙って見ておれ」と言い、二人の対決が始まるのである。初めから喬之進を馬鹿にしていた洋之介は上段に構えて木刀を振り下ろす。だが、腕は格段に違って、喬之進は洋之介の攻撃をすべてかわしていく。洋之介は真剣勝負を望み、そして、一撃で倒されるのである。喬之進は洋之介の髷を見事に切り落としたのである。髷を切り落とされた洋之介は恥じて出奔した。

 帰宅して、多恵は「出過ぎた真似をして申し訳もございません」と喬之進に謝る。喬之進は、「それもこれも、わしの身を案じてくれてのことだと思う」と語り、「が、もそっと信じてもらわねば、夫たるもの、・・・ちと、つらい」と言う。多恵は無言のまま夫に抱きついて、わが夫の大きさを感じていくのである。

 これは、展開に若干の安易さはあっても、一話の完結として優れた作品だと思う。出来うるなら、酒井洋之介が単なる悋気からの嫌がらせをする人物ではなく、戸崎喬之進の上役であればなおいいかもしれないとも思ったりする。

 第五話「蹴殺し」は、表題のとおり、主人公の岩倉源太夫が軍鶏の闘いからヒントを得て編み出したという秘剣「蹴殺し」についてである。源太夫の秘剣「蹴殺し」の噂が広まるに連れて、他の剣客がそれを知ろうとする事態が出現していくことになる。その手始めが、源太夫の道場に食客となった武尾福太郎と名乗る人物であった。

 武尾福太郎は、親類の世話にならなくなって旅に出たが、途中で枕探し(泥棒)に有り金全部を盗まれ、何か仕事をさせてもらいたいと言ってきて、道場の食客となったのである。やがて、源太夫の子どもたちもなつき、道場の若い弟子たちも一目を置くようになっていくが、梟のように夜目が利き、源太夫の秘剣の正体を探り出そうとするのである。

 そのことを察した源太夫は、秘剣など見せるものではないと断るが、福太郎は武芸者としての血が騒ぎ、ついには源太夫の子である市蔵を人質にとって源太夫との真剣勝負を望むのである。源太夫は、その時、彼の望み通り、「蹴殺し」の一つを用いて、その勝負に勝利する。源太夫は、武尾福太郎の遺体を丁寧に寺に埋葬してもらい、線香を手向けていくのである。武芸者としての悲哀を感じて、本書が閉じられる。

 これはシリーズ化されているので、続編を読みたいと思っている。なかなかの秀逸な力作で、構成や展開は驚くほど工夫がなされているし、登場人物たちのあり方が筋が徹されていて、読み応えのある作品になっている。中でも、権助という人物はすこぶる魅力的である。本格派のいい作家と作品に出会ったと思っている。

2013年12月26日木曜日

野口卓『軍鶏侍』(2)

24日(火)のクリスマスイブの日、大学の講義から急いで戻ってきてイブの礼拝を守り、流石にくたくたに疲れ果てて、その疲れがまだなかなか抜けないでいる。今日から年末年始にかけて大寒波が襲来するという。寒いとなかなか疲れも取れない気がする。

昨日は、お正月の間に読む本を借りに図書館に行ってきた。その図書館で対応してくれた図書館員の人は、眉にしわを寄せて話す癖があるのか、穏やかさとは無縁のところで生きている方のようで、利用者が多いからやむを得ないところがあるとは言え、少し残念な人だった。

閑話休題。野口卓『軍鶏侍』(2011年 祥伝社文庫)の第二話「沈める鐘」は、念願の剣術道場を開くことができた主人公の岩倉源太夫が妻を娶っていく話から始まっていく。

源太夫は若い頃に一度妻帯し、一子を設けたが、結婚してすぐに江戸勤番となり、剣術の修行に明け暮れ、剣術にしか関心がなかった。帰国しても彼の関心は剣術にしかなく、妻と子をほとんど構うことなく、妻もまた、源太夫が軍鶏を飼い始めたことで、鳴き声や鶏糞の匂いで頭痛がすると不機嫌で、家の中は陰気な空気が漂っていた。そして、その妻が病でなくなり、源太夫は亡き妻に対してすまなかったとの後悔の念を抱いていた。

だが、道場を開くにあたって家事を取り仕切る妻女が必要だろうと息子の嫁の兄が縁談話をもってきたのである。そこには家族水入らすで過ごしたいと思っている息子夫婦の意向も働いていて、源太夫の再婚話はあれよあれよという間に進んでいく。相手は「みつ」という二十八歳になる女性だと言う。

「みつ」は、武具方の武藤六助の三女で、十八歳で同じ武具方の立川彦蔵という男に嫁いだが、八年経っても子ができないということで離縁され、実家に戻っていた女性であった。「みつ」の夫であった立川彦三は、「みつ」を離縁してすぐに再婚し、子どもができている。「みつ」は出戻りとして着物を縫ったり近所の娘たちに裁縫を教えたりして生活しているという。心根の優しい控えめな女性であると源太夫は聞かされる。そして、話は電撃的に進み、道場開の三日前に婚儀をするということになっていくのである。

そんなある日、源太夫は下働きの権助と共に、運んでいた馬とともに川の淵に沈んだ鐘の音が今も時折聞こえるという伝説のある沈鐘ヶ淵に夜釣りに出かけ、源太夫は鐘の音を聞く。こうした挿話の挿入は実に巧みで、その鐘の音が源太夫の心の声と重なるようにして描かれていく。

権助は軍鶏の飼育だけでなく釣りについても名人級の知識と技量をもっていて、主従の関係が面白く逆転していくところがある。「ようよう軍鶏がわかってまいりましたな、大旦那さま」と言ったりするのである。

「みつ」との婚儀も滞りなく終わり、剣術道場も三十人ほどの新弟子が集まって開かれた。「みつ」は、真に素晴らしい女性であり、こうして順風満帆に源太夫の再出発が始められた。だが、「みつ」の前夫である立川彦蔵が、彼の妻とその不義の相手を一刀両断にして斬り、出奔したという知らせを受けるのである。

立川彦蔵の後妻となった女は、以前から名う手の遊人で見栄えの良い男と深い仲にあり、その男に上格の家との縁談話が持ち上がったことを機に、その男が彼女を下司である立川彦蔵に彼女を押しつけ、彼女が子を産んだあとに再び寄りが戻っていたのである。立川彦蔵と後妻との間に生まれた子は、実は、その男の子であった。立川彦蔵は随分と忍耐をしていたが、彼の妻とその男が出会い茶屋で抱き合っているところに乗り込んで、二人を斬り殺して逐電したのである。姦婦姦夫の成敗は無罪だが、脱藩は死罪に値する。立川彦蔵は藩随一の剣の使い手であり、岩倉源太夫にその討手の命が下された。

源太夫は討手となることを拒んだが、もうひとり選ばれた討手がその女の弟であり、主命であることを聞かされて、やむなく立川彦蔵の討手として彼と対峙するのである。討手となった弟は狭間鐵之丞で、義兄であった立川彦蔵が優れた人物であると言う。

源太夫は立川彦蔵に好ましさを感じながら、彦蔵の出身地である貧農に彼がいるような気がしてそこに向かい、静謐さと威厳を身にまといながらも死を覚悟した立川彦蔵と会うのである。彦蔵の妻は、彦蔵が出会い茶屋に踏み込んだとき、相手の男に「その男を斬って」と夫を「その男」呼ばわりして叫んだと言う。源太夫は闘いを回避しようとするが、彦蔵は、もはや死を覚悟しているという。こうして、源太夫と彦蔵は死闘を繰り広げることになる。源太夫は満身創痍となりながらも、なんとかその闘いに勝つ。だが、源太夫は深く心に痛みを覚えていく。

満身創痍の源太夫を「みつ」と権助が介護する。権助の手際はよく、源太夫は次第に回復していくが、立川彦蔵の残された一子(彦蔵との血の繋がりはな位が)の三歳になる市蔵を養子にして育てたいと「みつ」に申し出、「みつ」はそれを快諾するのである。死闘をした立川彦蔵の亡骸も懇ろに弔う。こうしたところに、岩倉源太夫という主人公の度量の大きさと思いやりの深さがにじみ出て、また、「みつ」の大きさと愛情の大きさも描かれ、この夫婦が、人としての温かみのある夫婦であることが記されていくのである。そして、石女として離婚された「みつ」が懐妊する。源太夫にとって、彼の孫よりも若い子が誕生することになるのである。

そのとき、源太夫は、なぜ自分に沈鐘ヶ淵の鐘の音が聞こえ、側にいた権助には聞こえなかったかを悟る。源太夫はこの一年の間に、やむを得ない事情があったとは言え、刺客となった旧友と妻の前夫を斬り、強く後悔をした。それによって源太夫は死という負の方へ向いてしまっていたが、権助は生という正の方へ目を向けていた。だからだと思うのである。そして、とことこと歩いてくる市蔵を両腕で抱えて青空に向かって高々と差し上げる権助の姿に人の歩み方を学んでいくのである。

第二話の最後の情景としてその権助の姿が記されて、これも秀逸の作品としての終わり方をしている。

第三話「夏の終わり」は、一人の青年が自らの殻を破って脱皮していく成長譚である。物語が始まる前に、下働きの権助が軍鶏の餌となる雀を捕える場面があり、「生き物にはそれぞれに習い性というのがありまして」(147ページ)という言葉があり、この言葉がこれから展開される一人の青年の脱皮へと大きく関係していくことになるという、真に巧みな技法が使われている。

物語の中心となるのは、岩倉源太夫の友人で藩の学問所の教授方をしている池田盤晴が源太夫に剣術の修行を依頼した頑固で他の者ともうまくつきあえない不器用な教え子の十歳になる大村圭二郎である。

大村圭二郎は、徒士組頭の大村庄兵衛の次男だったが、父親の庄兵衛が切腹をしなければならない事件が起き、お家断絶はまぬがれたが家禄を四分の一に減らされ、屋敷も組屋敷に移され、家督を継いだ兄は、それでも真面目に仕事に励んでいたが、圭二郎はその衝撃に耐えられずに歪んできていたのである。寡黙でほとんど口をきかず、表情が異常に乏しい少年だった。圭二郎は十一歳になったが、変わらないままであった。父の非業の死は少年の心に重い影を落としていた。

その圭二郎を源太夫も妻のみつも案じるが、みつは「誰か見守ってくれる人がいることを知ることが励みになる」と言う。そして、圭二郎は藤が淵と呼ばれる淵に巨大な鯉がいることを見つけ、この鯉を捕まえることで自分を変えようとしていく。その手助けを博識の権助がしていくのである。権助は周到な準備を幾日も重ねて忍耐強く待つことを教える。圭二郎はその権助の指示に従い、ついに鯉を釣り上げる日がやって来る。彼は、横殴りに降りつける雨に打たれながら鯉と格闘していくが、釣り上げる寸前で老練な鯉に糸を切られてしまう。しかし、権助は、「これでよかったのだ」と言う。

周到な準備を長い時間かけての失敗。だが、この出来事が圭二郎を一変させる。道場の床拭き掃除もし、熱心に稽古もするようになり、腕も上がり、皆から一目置かれるようになっていくのである。少年が脱皮して青年となる。権助はそれを見守るのである。こういう人物が周りにいることは少年にとって何よりも幸いである。第二話のはじめの方で示されたみつの言葉がこうして具体化されているのである。こういう構成が小説を優れたものにしているとつくづく思う。

2013年12月23日月曜日

野口卓『軍鶏侍』(1)

 冷え込みがまた一段と厳しくなったような感があり、夜などは厚手の靴下を履いていても足元から寒気が立ち上ってくるような気さえする。細々した書類の作成に時間を取られることが多くなり、改めて、今の日本の社会の中で人がひとりで生きていくことは面倒なことだと思ったりする。家一つ借りるにしても簡単ではない。静かに暮らしたいという往年の願いはなかなか叶えられそうもないとも思っている。

 それはともかく、野口卓『軍鶏侍』(2011年 祥伝社文庫)を大変面白く、また、ある種の感銘を受けながら読んだ。文庫本のカバーによれば、作者は、1944年に徳島で生まれ、立命館大学を中退後、いくつかの職業を遍歴された後にラジオドラマなどの脚本などを手がけられ、1993年に一人芝居「風の民」で菊池寛ドラマ賞というのを受賞されたらしい。本作が作家としてのデビュー作らしいが、古典落語に造詣が深く、『あらすじで読む古典落語の名作』(2004年 楽書館)という書物を出されたりしている。

 従って、本作がデビュー作とは言え、表現力は抜群で、描写、構成、人物設定などが優れており、悲喜交々の人間模様が生き生きと描かれている秀作だと思う。本書の解説をしている歴史時代小説評論家の縄田一男氏が、解説の中で藤沢周平に触れられて、作者が藤沢周平から大きな影響を受けていることを指摘されているが、藤沢周平とはまた異なった独自の面白みと展開がある。デビュー作にして作者は既に自分お文体を持った優れた作家だと思う。

 本書は、江戸から150里(600キロ)も離れた南の小さな二万六千石の園瀬藩という架空の藩を舞台にして、若い頃の江戸勤番の修行時代に闘鶏の軍鶏を飼う秋山勢右衛門という旗本の隠居と出会い、軍鶏の美しさと強さに魅了されて、ついにはその軍鶏の闘鶏からひらめきを得て、「蹴殺し」という秘剣を編み出した剣の使い手である岩倉源太夫という下級武士が主人公である。作者は、この創作上の園瀬藩というのを、おそらく絵図を自分で描いているのだろうと察するが、丹念な情景描写を匠に入れて描き出す。そのあたりが藤沢周平の「海坂藩」の設定と似ているといえば似ていると言えるかもしれないが、山間の小藩の景色や城下は実に味わい深く描かれている。

 源太夫は、しかし、宮仕えや人間関係がとにかく煩わしくて、孫ができたことをきっかけに39歳で早々に家督を息子に譲って隠居した。しかし、藩は彼の隠居は認めたが、隠居後の生計のために開こうとした剣術道場を開くことは許可せずに、彼は、隠居して一年経っても、好きな趣味としての美しい軍鶏を飼うことと釣りに明け暮れる毎日で、煩わしさからは解放されても、いわばすることが認められない不本意な生活を強いられているのである。彼は剣の腕よりもむしろ軍鶏好きの「軍鶏侍」と陰口を叩かれることが多い人物である。

 だが、その彼が、その剣の腕によって藩の政争に巻き込まれていくところから物語が始まる。「なにゆえに呼び出しを受けたのであろうか。大橋を渡りながら、岩倉源太夫は首を傾げずにはいられなかった」(5ページ)という本書の書き出しが、なかなか味のある書き出しで、これから風雲を告げていく物語の展開が見事に予測されたものとなっている。こういう書き出しができる作家の作品が面白くないわけがないのである。

 隠居した岩倉源太夫を呼び出したのは、藩の筆頭家老で、中老と側用人が商人と結託して藩を私物化しようとしているので、その密書を運ぶ者を暗殺して欲しいと源太夫に依頼するのである。しかし、源太夫は、その家老の話に胡散臭さを感じるし、そうした藩政をめぐるごたごたには巻き込まれたくないという思いを強くし、その暗殺が藩主直々の命でもなく、自分は隠居した身であり、しかも秘剣などというものもないと、その依頼をきっぱりと断る。

 ところが数日後、江戸から密書を運んできていたと思われる武士が何者かに殺されたという報に接するのである。源太夫は筆頭家老がほかの刺客を用いたことを察するのである。そして、筆頭家老の方こそが商人との結託をおこなっていたことが分かっていくのである。

 筆頭家老には筆頭家老の事情があった。地方の小藩である園瀬藩は、ほかの諸藩と同様に財政が逼迫した状態に置かれ続け、農村は枯渇し続け、農民の生活の窮乏はひどいものがあった。収穫を上げて石高を増やすためには新田の開発しかないが、藩にはそれを行う財力がない。そこで、筆頭家老は、開発した土地の所有を与えることを条件に新田の開発を民間の商人に委託したのである。それは、藩財政の増収となるが、商人は大土地所有者となりますます肥太り、新田開発にかり出された農民は益々ただ疲弊していくだけの結果となった。筆頭家老と商人の癒着がそこで生まれ、彼に反対する勢力もその点を問題視したのである。若い藩主もなんとかその状態を改革しようと側用人と中老にその意を伝え、かくして政争が起こっていたのである。

 商人との癒着の問題は別にして、実は、こうした政策上の問題の是非の判断は難しい。作者がそうした視点をもって、短くではあるがそれに触れていることは大変素晴らしいと思う。この筆頭家老の問題は、彼がとった政策の問題ではなく、彼が反対勢力の暗殺という卑劣な手段を取ったところにあるのである。そして、作者の物語力の優れたところは、この筆頭家老が刺客として雇ったのが、主人公の岩倉源太夫に軍鶏の美しさと強さを教え、彼の秘剣の元となり、彼が師と仰ぐ秋山勢右衛門の三男で、彼が秘剣を編出すのに共に尽力してくれた秋山精十郎としているところである。

 秋山精十郎は秋山勢右衛門の妾腹の子であったが、勢右衛門から可愛がられて心根のまっすぐした爽やかな青年として育った。だが、その勢右衛門が亡くなった後、本妻の子である兄から邪険に扱われ、それに伴って家の者たちからも除け者にされて、家を飛び出し、用心棒などで糊口をしのぎながら生きていくようになっていた。園瀬藩の筆頭家老が、皮肉にも、その彼を刺客として雇ったのである。生きることの悲哀がそこににじみ出ていく。

 そして、江戸からの密書をもった前途有望な青年が殺される。岩倉源太夫は、かつて剣術道場の相弟子で、今は藩の目付をしている友人からその事情を聞かされ、さらに、実は今回の政争が藩の派閥を解消したいという藩主の意向を受けたものであり、筆頭家老に反対している中老にも暗殺の手が伸びる恐れがあり、その中老を護るようにとの依頼を受け、また江戸への密書を届けてもらいたいという依頼を受けるのである。藩主が源太夫の道場開きを許可しなかったのは、藩主がいざという時の切り札として源太夫に期待していたからだとも告げられる。

 こうして岩倉源太夫は密書を持って江戸へ向かうが、その途中で、筆頭家老が放った刺客である旧友の秋山精十郎と闘わなければならなくなる。秋山精十郎は、源太夫が秘剣「蹴殺し」を編み出した時に手助けしてくれた友人である。だから、彼は精十郎との闘いは秘剣を用いずに闘い、秋山精十郎はその闘いに敗れる。こうして藩の政争も収まり、源太夫は彼の遺体を懇ろに弔う。そして、ようやくにして彼の剣術道場開の認可がおり、藩士の子弟たちへ剣を教える道が開かれていくのである。

 岩倉源太夫は、旧友の秋山精十郎が自分の死に場所を求めていたのではないか。そして、侍というだけで友を斬らなければならなかった自分のあり方を考えていく。だが、念願の剣術道場を開き、後進の指導の新しい道が始まるのである。

 これが第一話「軍鶏侍」の展開であるが、本書の全体を通して特筆すべき人物が登場する。それは岩倉家に父の代から仕えている「権助」という下僕で、「権助」は、「いきているうちに自然に身についた知恵でございます」と言いつつも、軍鶏のことをはじめとして何なら何まで専門家以上の知識と技術をもち、今で言えば優れたコンシェルジュ(執事)のような働きをするのであり、その「権助」と主人公の岩倉源太夫との軽妙でありつつも源太夫を助けていくものになっている。この作品は、この人物がいるからこそ味わい深いものになっているとも言える。

 第二話以降は次回に書く事にするが、ともあれ、この作品は、権力争い、剣の闘い、夫婦の問題、青少年の成長、子どもの成長といった事柄を極めて丁寧に、そして味わい深く描く作品である。主人公が道場主としてそれぞれの成長を見守っていく姿は、どこか池波正太郎の『剣客商売』を思わせる雰囲気が漂うが、それについては、また次回触れることにしたい。力作で、いい作品だと思う。

2013年12月19日木曜日

南原幹雄『江戸吉凶帳』

 昨日から雪になりそうな冷たい雨が降っている。どことなく気忙しい日々ではあるが、この一年は、ついに、自分がしようと思っていたことが何一つできずに暮れていきそうだな、とも思う。キルケゴールについて書いたものや西洋思想史について書いたものを整理しようとしたことさえできていないなあ、としきりに反省する。倫理学もそのままになっている。来年の3月までは、おそらくこの状態が続くから、それらは、まあ、4月からだなとは思ってはいるが。

 それはともかく、南原幹雄『江戸吉凶帳』(1997年 新潮社)を比較的面白く読んだ。これは文化文政のころ、江戸の堺町、葺屋町、木挽町にそれぞれ芝居小屋(江戸歌舞伎)が置かれ、俗に江戸三座と言われていたころ、堺町の中村座と葺屋町の市村座の近くで「江戸屋」という芝居茶屋を営む三十五歳という若い男盛りの弁之助を探偵役にして、芝居小屋にまつわる様々な事件を解決しながら、その人間模様を描いた一話完結型式の短編連作の作品である。

 芝居茶屋は、芝居見物のための席を予約したり、芝居見物の休息所を提供したり、食事や飲み物をまかなう茶屋(食事処・レストラン)で、庶民から大名に至るまで芝居茶屋の食事を堪能し、この時代の最大の娯楽のひとつだったとも言われている。芝居茶屋は、その規模や客層などによって大茶屋、小茶屋などの区別があるが、本書で描かれる「江戸屋」は大名などが利用しているから「大茶屋」である。「大茶屋」は高級料亭に近いものだった。そして、芝居茶屋の切り盛りは、ひとえにその女将の器量にもかかっていると言われ、芝居茶屋からは有能な役者が出たりしている。「成田屋」とか「音羽」といった歌舞伎役者の屋号は、その出身か関わりのあった芝居茶屋の屋号から取られているものが多い。

 本書でも、「江戸屋」を切り盛りするのは、その女将の「おわか」である。「おわか」は弁之助よりも八歳年下の美貌で機転の利いたしっかりもので、芝居見物に来た時に弁之助を見初めて、惚れて、押しかけ女房のようして嫁いだのだが、その美貌と切り盛りのうまさで評判の女性だった。忙しい合間を縫って弁之助の世話をこまめにやいたりもする。

 「江戸屋」はその女将の「おわか」の見事な采配で繁盛しており、「江戸屋」の主人としての弁之助は暇である。芝居茶屋の主人が表に出ることは無粋なことでもあるから、することがない。若い頃は剣術道場に通って免許皆伝の腕前になっているが、それもせずに俳句や絵を書いたりして趣味を満喫する暮らしをしているのである。彼のところに出入りする友人は、芝居の看板絵を書いている役者崩れの友蔵と岡っ引きの鶴吉で、描かれる事件はこの三人によって探索され、解決されていく。

 第一話「芝居茶屋亭主」は、その芝居茶屋に出入りしている中村座の座元である中村勘三郎の嫡男である四歳の勘太郎が何者かに誘拐されるという事件が描かれる。勘太郎は夏興行で初舞台を踏む予定で、その初舞台が迫ってきていた時に拐かされたのである。夏興行は、暑いこともあって、休業したりする芝居小屋が多いのだが、中村座は、惣領息子の初舞台を打ち、人気役者や大物役者などもその祝儀で出演することになっていた。

 弁之助は、勘太郎が「江戸屋」で拐かされたこともあって、友蔵と鶴吉らと勘太郎の行くへをひとつひとつ探ることで、拐かし事件の真相を暴き、勘太郎を助け出していくのである。当時の芝居は資金を出す金主というのがいて、芝居小屋の客の動向は金主の損得に関係する。中村座が役者を揃えて息子の初舞台としての夏興行を行えば、人気が出ることは間違いなく、ほかの芝居小屋の客の出入りに大きな影響がでる。そこに目をつけた弁之助が拐かしの犯人を突き止めていくのである。

 第二話「お役者買い」は、青物問屋の内儀によって「お役者買い」されていた中村座の若手人気役者が何者かに殺されるという事件を取り扱ったものである。「お役者買い」というのは、贔屓の役者を呼んで遊ぶというもので、いわば、役者を金で買うのである。弁之助たちは、殺された役者に嫉妬や恨みを持つ者を洗っていくが、手がかりがつかめないでいた。

 そうしているうちに、強請のようなことをして嫌われている岡っ引きが、青物屋の内儀と役者の密通をネタにして、役者を強請、それを役者が断ったりしたことが原因で、その岡っ引きが役者を殺したのではないかという疑いが出てくる。だが、その岡っ引きには事件当日のアリバイがあった。彼は夜通し落語の催しの会に出ていたという。調べてみるとその通りで、落語の会を途中で出たのは一人しかおらず、しかもその男は違う羽織を着ていたから岡っ引きとは別人であるという。

 だが、弁之助は、女房の「おわか」が表裏で着ることができる無双羽織を来ていたことから気がついて、岡っ引きのアリバイを崩していくのである。

 こうした展開が、第三話「ことぶき興行」、第四話「夫婦道成寺」、第五話「お欄の方騒動」、第六話「鳥居派五代目」、第七話「料理八百善」と続き、最後に「名家の陰謀」となっている。

 この第八話「名家の陰謀」は、四千石の旗本の後継者を芝居茶屋遊びに誘い出して、自堕落へと誘い込んで、その家を乗っ取ろうとする妾腹の兄の企みを弁之助らが暴いていくというものだが、その旗本の相手が、こともあろうに「江戸屋」の女将「おわか」なのである。「おわか」も若い男から言い寄られて満更ではなく、表面はただの客だと取り繕っていても態度に出ていく。そして、その男からの呼び出しに応じていくのである。

 だが、事に及ぶ途中の寸前のところで、事態を察知していた友蔵と鶴吉が踏み込んで、事件の真相もはっきりするところで終わる。この後、「おわか」の浮気心を知っていた弁之助がどうするのか、寸前の恥ずかしい場面を見られた「おわか」がどうするかは触れられないで終わる。それは読者の想像に委ねられるという心憎い終わり方ではある。「おわか」は弁之助に惚れて夫婦となったが、言い寄る男がいて、それが少し気に入ればそうなるのは、ある意味現実的ではある。「おわか」の姿は妙にリアリティがある気がする。

2013年12月16日月曜日

千野隆司『寺侍 市之丞』

 冬晴れの寒い日々が続いている。つい先ごろ、この5日に死去された南アフリカの元大統領であったネルソン・マンデラ氏のことを考えていて、その自伝に「憎むことではなく、愛することを学ぶ」という言葉があり、また、8日に放映されたNHK大河ドラマの『八重の桜』で、新島襄の後を受けて同志社の総長代理を務めた山本覚馬が同志社の卒業生を前にしての最後のメッセージとして、旧約聖書の『イザヤ書』を引用して、「もはや戦うことを学ばない」と語る場面があった。日清戦争が始まろうとしていた直前のことである。もちろん、NHKの大河ドラマの方は少し脚色があるだろう。

 しかし、この二つを重ね合わせて、「もう争うことや戦うことを学ぶのではなく、愛することを学んで生きる」ということがいたく心に残った。真実の愛というものは、愛以外の手段を取らないのだから、「愛するために戦う」というのは詭弁に過ぎないが、それでも、人は生存のための様々な戦いに遭遇する。争いや戦いを強いられることもあるだろう。だが、「もう戦うことを学ばない」で、自分の人生を「愛することを学ぶ人生」にしていく。そんなことを少し考えていた。そこでの「愛」は、やはり「忍耐」となる。真に「愛は忍耐」なのである。人の自由を認めることは、忍耐のいる仕事である。

 そんなことを考えながら、千野隆司『寺侍 市之丞』(2011年 光文社文庫)を気楽に読んだ。千野隆司の作風は、初期の『札差市三郎の女房』(2000年 角川春樹事務所)から同心物を経て若干変わってきているように思うが、このところは彼の筆力の豊かさが発揮されてスラスラと流れるような展開でシリーズ化される作品が多い気がする。

 本書も、おそらくはシリーズ化が前提になったような作品であるが、寺に雇われる「寺侍」という変わった境遇の主人公の話で、どちらかといえば成功譚のような展開になっている。

 主人公の棚橋市之丞は、400石の旗本の次男で、両親と兄夫婦と同居する部屋住みの身分であるが、彼の母親が寺社奉行をしている福山藩主の阿部正精(あべ まさきよ)に奉公に上がっていたことがある関係で、阿部正精の依頼で下谷山伏町の青柳山大恩寺の再建に手を貸すようになる、という展開である。

 ちなみに、阿部正精は江戸時代後期の実在の人物で、1775年に生まれ、1826年に死去し、松平定信が行った寛政の改革の厳しさを嫌った徳川家斉によって幕府老中を務めた人で、彼が寺社奉行であったのは奏者番との兼務の形で1806年(文化3年)からで、その後病のために一時辞任するが、再任されて、1817年(文化14年)に老中となるまでの時期である。彼は、寛政の改革で冷え切った江戸の経済の再建のために尽力したと言われている。

 本書は、その阿部正精の経済再建策の一つとして、うらぶれかけている大恩寺を盛り立て、それによって門前町などの経済復興を棚橋市之丞が秘仏開帳などの興行を行って成し遂げようとするもので、現代の疲弊した地方経済の立て直しに奔走する姿に重なるようなものとしても描かれている。主人公の棚橋市之丞は、剣の免許皆伝の腕を持つ達人であるが、世の仕組みとしての経済に強く関心もあり、およそ武士らしくないところのあるどこかのんびりしたとぼけた性格の持ち主として描かれている。

 物語は、大恩寺の門前茶屋の娘で、長谷川国豊(歌川国豊をもじったものであろう)という絵師が錦絵に描いた美女(笠森お仙をもじったものであろう)が何者かに殺されるところから始まる。その美女のおかげで、大恩寺は人があふれるほどだったが、彼女の死後はさっぱりさびれていくのである。

 そこで、寺社奉行阿部正精の依頼を受けて棚橋市之丞が寺の再建に乗り出すことになるのだが、御開帳をして成功した寺と失敗した寺を調べ、成功に必要な策を講じていくのだが、その復興を妨げる者たちが現れてくる。茶屋の看板娘を殺した者で、巧妙に権力を用いたり、刺客を放ったりしていく。復興策と殺人事件の解決が交錯していく。また、そこには阿部正精の台頭を喜ばない幕閣が加わって行ったりする。

 物語の結論から言えば、大恩寺の御開帳事業は見事に成功して、殺人事件も解決されていくのだが、本書が、たとえば山本一力などが描く事業成功譚と異なっているのは、主人公に力みがないように、その恋を間に挟んだり、大奥や芝居小屋などの人物たちが登場したりするように、工夫が凝らされている点である。その点で作者の持つ柔らかさが発揮されているとも言えるだろう。そして、力みのない成功譚は娯楽読み物としては面白いのである。

 しかし、なぜ時代小説で成功譚が書かれ、それが広く読まれるのかは、一考することが必要かもしれないとも思う。ニーチェ曰く、「功利主義(利を求めること)は奴隷の道徳である。」「利」の奴隷。それが現代人の姿でもある気がする。

2013年12月9日月曜日

花家圭太郎『八丁堀春秋 日暮れひぐらし』

 本格的な寒さが訪れそうな日々になっている。師走というからではないが、何冊かの本は読んでいても、このところ少しいろいろなことが詰まってきてなかなかこれが書けないでいる。まあ、これでも身過ぎ、世過ぎをしなければならないから、仕方がないことかもしれない。

 そんな中で、花家圭太郎『八丁堀春秋 日暮れひぐらし』(2009年 集英社文庫)を気楽に読んでいたので記しておこう。作者の名前は明らかにペンネームだと思い、少し調べてみたら、本名は村岡末男、1946年秋田県生まれで、1998年に『暴れ影法師』でデビューされたとあるから、作家としてのデビューは52歳と遅く、残念ながら2012年に死去されている。

 本書は、2005年に出された『八丁堀春秋』(集英社)の続編で、『八丁堀春秋』が春、本書が夏となり、おそらく秋と冬が書かれる予定だったのかもしれない。文体も展開もゆったりして、いわゆるミステリー仕立ての同心物ではあるが、主人公は元北町奉行所定町廻り同心の小山田采女で、家督を息子の伊織に譲って隠居している人物である。彼は、現役の時には「おとぼけ同心」と呼ばれていたと記されているが、どういう「おとぼけ」かは本書を読んだだけでは、今ひとつピンと来なかった。物事に拘らずに明朗な性格を「おとぼけ」と表されているのだろうとは思う。ただ、同心をやめたあと、彼は年若い妻の「おしゅん」と一緒に小間物屋をしながら暮らしているという設定になっており、そのあたりも「おとぼけ」なのかもしれない。

 主人公にまつわるいくつかの事情が説明されて、まず、彼の息子の伊織であるが、伊織は彼の実の子ではない。采女が出入りしていた薬種商の「手嶋屋」が失火で火事を出した時に、ちょうど捕縛され、死罪になる押し込み強盗と取引をして、「手嶋屋」の失火をその押し込み強盗による放火として「手嶋屋」に失火の咎めがもたらさないようにする代わりに、押し込み強盗が唯一気がかりだった彼の息子を預かって育てることにしたのである。その息子が伊織なのである。その伊織は結婚したが、伊織の妻は一年前に左利きの何者かに惨殺された。

 そして、伊織がその犯人を見つけやすいように、采女は家督を伊織に譲り、何とかして彼を定町廻り同心にし、影から彼を支え、彼が一人前の同心になるようにいろいろなことを教えようとしているのである。

 年の離れた采女の妻となった「おしゅん」は、生まれてすぐに父親を亡くし、母親がある罪(何かは不明)を犯したところを采女に助けられ、「手嶋屋」で奉公するようになり、「手嶋屋」とその女将に育てられて、素直で明るい娘となり、采女と夫婦になったのである。

 こうして見ると、それぞれの人生は重いのだが、作者の本質的な人間観なのか、文体のなせる技なのか、登場人物たちのいささか甘ったるい会話が繰り広げられていく。「いろいろなことがあっても生きることは楽しいことだということを示したい」ということではあろうが。

 物語は、両国の花火見物に出かけた時に、女掏摸が掏摸とった財布が「おしゅん」の着物の袖に投げ込まれ、その財布の中に、娘を拐かしたという一文があったことから事件が始まり、その財布の持ち主、つまり、娘を拐かされたのが誰かを突き止めていくところから始まっていく。小山田采女は、長年の同心の勘から、娘の誘拐事件が実際に起こっているという実感を持っていた。

 こうして、采女の同僚であり、伊織の上司でもある同心や岡っ引きなどを動員しての地道な探索が始まっていく中で、誘拐で要求された金をもっていった兄が何者かに惨殺される事件が起こる。殺したのは左利きの侍で、伊織の妻が左利きの侍に殺されたことと重なって、伊織をはじめとして懸命な探索が続けられていく。そこには拐かされた娘の恋やその兄の恋などが事件の鍵となっていくが、伊織の明察が事件を紐解いていくことになるのである。その探索の展開は、ゆっくり丁寧に一つ一つ進んでいくミステリー仕立てになっている(途中で、読者には事件のあらすじが見えてしまうものではあるが、それを辿る姿が丁寧に描かれる)。

 まあ、こういう展開は推理というほどのものではないし、気恥ずかしくなるほどの処世訓や相手を持ち上げるような甘い言葉が続いては行くが、気楽に楽しめるものではある。そして、この作家の作品をほかにも読んでみたいと思わせるような作品だった。