2013年3月29日金曜日

鈴木英治『若殿八方破れ 久留米の恋絣』


 「花曇り」という素敵な言葉があるが、今日はそんな天気になっている。昨夜、満月が輝いていると教えられて、しばらく柔らかい月光を放つ月を眺めていた。なんの脈略もないのだが、良寛の「孤峯独宿の夜」という言葉を思い出したりした。

 閑話休題。鈴木英治『若殿八方破れ 久留米の恋絣』(2012年 徳間文庫)を読む。これは、シリーズの5作品目ということらしいし、前を読まないとなかなか物語の背景がつかみにくいものではあるが、「おきみ」という6歳の少女の母親のために芽銘桂真散(がめいけいしんさん)という妙薬を手に入れようと、江戸から長崎まで真田家の若殿である真田俊介が一行を連れて旅をするという設定で、「廻国活劇」という宣伝文句がつけられている。

 その旅には、彼の護衛役の他に久留米の有馬家の息女である良美という姫と女中の勝江という女性も同行し、主人公の真田俊介と有馬良美は互いにほのかに想いを寄せ合うものとなっている。それらが、それらが主人公たちの抱える様々な危機の旅にほのぼのとした光景を醸し出すものとなっている。

 主人公の真田俊介には、彼の命を狙う似鳥幹之丞(にとりみきのじょう)という宿敵がおり、彼によって俊介が信頼していた家臣も殺され、俊介はその仇も討ちたいと思っていた。似鳥幹之丞は久留米藩の剣術指南役として採用されることになっていたということで、久留米は彼らの旅のひとつの山場でもあるだろう。公儀隠密の暗躍も盛り込まれている。

 物語そのものは、もし歴史的考証をきちんとすればありえない設定であるが、娯楽作品としてはそれでもいいのかもしれないと思ったりもする。ただ、物語の中で重要な役割を果たす6歳の「おきみ」の姿は、語る言葉も振る舞いも、いくら大人びているとは言え、大いに疑問が残り、興醒めするところがある。6歳というのは満年齢で5歳であり、5歳の少女が使うような言葉ではない表現が多々ある。

 もうひとつは、このシリーズの中で各地の名物なども紹介されているが、久留米が「うどん」で有名だったということは、わたしも久留米に長く住んでいたが、聞いたことがない。ただ、本作で触れられる久留米絣を考案した高橋お伝については、現在も寺町というところにお伝の碑が建てられ、久留米絣もほんとうにいいもので、少し値は張るが愛用していたことを懐かしく思い出したりした。

 もう少し気になることで、本書では久留米21万石の藩主を有馬頼房とし、良美をその娘としているが、久留米藩の藩主にこの名はない。有馬氏が久留米の藩主となったのは、1620年に丹波の福知山8万石の大名であった有馬豊氏が関ヶ原の功績で加増されて藩主となったのが始まりで(この大幅な加増について、その理由はあまりはっきりしないが、家康の養女の蓮姫を娶ったということがあるのかもしれない)、その後、廃墟であった久留米城を修築し、筑後川の治水工事などもしたが、そのために財政の圧迫を招いたりしている。

 歴代の藩主にあまり見るべき人もなく、趣味などに走る藩主が続出し、1732年(享保17年)には享保の大飢饉で6万人もに及ぶ領民の一揆が起こったりしている。跡目を巡る陰湿な争いも繰り返されたりしている。作者が久留米を明るく活気に満ちたところとして描いているのはありがたいことではあるが、久留米藩の内実とは大きくかけ離れている。

 いくら娯楽作品とは言え、少し歴史に注意すればこういう誤りは避けられるのだから、少なくとも久留米藩主の名前を出すなら、そのあたりはきちんとしたほうが良いと思う。物語の中で、良美は重要な役割を果たす女性であるのだから、なおのことであろう。気になるところがたくさんあって、作者は何のためにこの作品を書いたのだろうかと思うほど、「今ひとつ」という思いを持ちながら読んでいた。また、気楽に読める作品ではあるが。

2013年3月27日水曜日

北原亞以子『慶次郎縁側日記 あした』


 今日も雨模様で寒い。先日、作家の北原亞以子さんが、享年75で帰天されたと報じられて、これまで『深川澪通り木戸番小屋』や『慶次郎縁側日記』のシリーズなど、かなり読んでいて、その柔らかい筆致が好きだっただけに、大変残念に思っていた。ちょうど、『慶次郎縁側日記 あした』(2012年 新潮社)を図書館から借りてきており、これが彼女の最後の作品になったと、感慨深く読みすすめた。

 『慶次郎縁側日記』は、元南町奉行所の同心で、「仏の慶次郎」と呼ばれた森口慶次郎が、隠居して酒屋の寮番人をしながら江戸市中で生きる様々人たちが起こす事件や出来事に関わっていくという設定で、市井で生きる人々の姿を短編連作の形で描き出したもので、その最後の作品になった『あした』は、暖かい余韻を残しながらもすっきりとまとまった作品になっている。

 本書には「春惜しむ」、「千住の男」、「むこうみず」、「あした」、「恋文」、「歳月」、「どんぐり」、「輪つなぎ」、「古着屋」、「吾妻橋」の十篇が収められており、いずれも生きることの悲しみとそれをそっと包む人間の姿が味わい深く描かれたものになっている。

 「春惜しむ」は、女髪結いの亭主として働くこともせずに身勝手に遊んで暮らし、あげくの果てには若い女に入れあげ、離縁をされて、尾羽打ち枯らして体調を崩し、隠居している慶次郎を訪ねてきた磯吉という男の話で、慶次郎は、治療費は自分が密かに負担する覚悟で、貧乏人からは金は取らない友人の医者である玄庵のところへ行くように言う。

 磯吉が女房としていた女髪結いのお俊は、縄暖簾の女将の髪結いに行ったところで源次という男と知り合いになり、つきあっていた。源次は一度結婚したが、世話も何もせずに好き勝手をする女房と分かれて、船宿の船頭をしている男だった。二人は夫婦になるつもりであったが、お俊は、女ひとりで生きていける髪結いの仕事を辞めることにも不安を覚えていた。しかし、貧乏しても夫婦でいることを決断して、二人は夫婦になる。

 磯吉は、少し立ち直って、慶次郎がもった治療代を少しずつでも返していくというようになるが、別れた女房であるお俊が源次と結婚したと聞いて、その様子を見に行く。お俊の亭主となった源次は、実は磯吉の血の繋がらない兄弟で、小さい頃は、源次は可愛がられるが磯吉は除け者にされるような暮らしをしてきていた。だが、源次は兄思いで、ずっと真面目に働いてきた人間であり、お俊と源次は幸せそうだった。

 磯吉は二人の様子を陰ながら見て、嫉妬心を覚えたりするが、結局は自分が消えることが一番だと悟ってそこを立ち去るのである。慶次郎は、磯吉が律儀に金を返しに来るのを彼が一人前になった証としてそっと見守っていくのである。身勝手なことしか考えなかった人間がほんの少し立ち直っていく。これはそういう物語である。

 「千住の男」は、強盗に入り幼い小僧まで殺した男を追いかけて、慶次郎を慕っている岡っ引きの辰吉が千住まで出かけていったとことから始まる。森口家の夫婦養子となって慶次郎の後を継いだ森口晃之助からその捕物のことを聞いて、慶次郎も千住まで行ってみることにする。どこに行ったのかわからないと心配している辰吉の女房のおぶんから相談を受けていたからでもあった。

 強盗殺人犯は旅籠にいるということで捕り方が旅籠を取り囲んでいたが、慶次郎は船着場のある河原に下りて行ってみることにする。そこで川面に向かって小石投げをしているとひとりの男が近寄ってきた。慶次郎は、その男の話を聞くことにする。

 男は、鬼怒川の西岸の宿場に近い村の豪農の生まれで、気立てがよく働き者の女房をもらっていたが、悪友の勧めで宇都宮の城下に遊びに行った時に、「おしん」という遊女と昵懇になった。「おしん」は十二歳で遊女屋に売られ、十四歳で見世に出され、男と知り合ったときはまだ十五歳の弱々しい暗い女性だった。男と女房とのあいだに子どもまで出来、男は子ともを可愛がったが、「おしん」に対する想いは募る一方で、「おしん」を身請けしたいと思うようになっていた。そして、彼は女房と子どもを捨てて、「おしん」と暮らすことにする。女房は金もあって何不自由なく暮らせるが、「おしん」は自分だけが頼りだからというのである。男は、父親から大金をもらって勘当され、「おしん」を身請けして、「おしん」と暮らし始める。だが、それから三年して「おしん」が病で亡くなってしまい、父親からもらった金も使い果たし、つい、江戸に出てきた旅籠で盗みを働くようになったと言う。そして、盗みを繰り返しているうちに、盗みに入った家の主人に見つかり、逃げたい一心で、夫婦と小僧を殺してしまったと慶次郎に告白するのである。

 慶次郎は、その男の話をゆっくり聞いてやり、そこに捕り方がやってくるという結末で終わる。慶次郎は、男が取り方の追う強盗殺人犯だと感づいていたが、ともかく、その男の話をゆっくり聞くのである。そして、男が見せた別れた女房と子どもへのほんの少しの思いやりを受け止めていくのである。

 「むこうみず」は、水戸家の御用達を務める煙管屋の子守の女中が、自分が好きになった手代との間に子どもが出来て、その相手を問い詰められて、少しだけ知っている煙管師の弟子を相手だと嘘をついていく話である。手代は奉公人に手をつけたことが知られれば店を追い出される。だから女は嘘をつくのだが、彼女が相手だといったのが、実は岡っ引きの太兵衛の次男で、弟子入りしている煙管師の娘との養子縁組の話が持ち上がっており、身に覚えがないと断言する。太兵衛も森口慶次郎を慕っている岡っ引きだった。

 煙管屋では女中の話を聞いて、辰吉の次男との縁組を進めようとするし、女中の嘘はのっぴきならないところまで進んでいくように見えた。そこで、女中は手代と密かに会って、駆け落ちの計画をするようになる。高価な煙管をネコババして、それで金を作って駆け落ちしようというものである。彼らは東海道を下って行く計画を立て、女中は手代と生まれる子どもの三人で暮らすことを夢見ていく。

 やがて、二人は出奔し、女中の嘘もばれる。女中は手代と約束したように品川まで行ったいたようで、そこで連れ戻されるが、男は、甲府に向かう内藤新宿で捕らえられる。どちらがどちらを騙したのかはわからないが、岡っ引きの太兵衛は、子どもを抱えることになる女中を陰ながら支えていこうかと思うのである。

 表題作ともなっている「あした」は、森口慶次郎の夫婦養子となって跡を継いでいる森口晃之助に与力になるという出世話が起こる話である。晃之助は慶次郎の娘と相思相愛だったが、慶次郎の娘が自害したあとも、南町奉行所同心である慶次郎の夫婦養子となって跡を継いでいた。昔、慶次郎自身にも与力になる出世話があったが、慶次郎はそれを断り、そのため彼を推挙した上役から不愉快な人間と思われていたが、晃之助の実父は吟味方与力であり、与力と同心では雲泥の差のある身分だった。

 晃之助にそういう出世話が持ち上がる中で、「おみね」というこそ泥をしながら暮らしている老婆が捕まえられて自身番に突き出される。「おみね」は何度もこそ泥や食い逃げで捕らえられていて、伝馬町の牢にもはいったことがある老婆で、泥棒長屋に住み、こそ泥を繰り返して生きているのである。彼女は、年寄りが安心して暮らせないのだから仕方がないとうそぶいたりする。

 自身番の書き役(記録係り)は、「おみね」が食い逃げしたという蕎麦の代金を払ってやり、「おみね」を返す優しい男だったが、「おみね」はその書き役にも悪態をつく始末だった。

 「おみね」は、子どもの頃は裕福ではなかったが人並みの暮らしをしていた。しかし、十三歳の時に左官をしていた父親が死に、続いて母親も亡くなり、藍玉問屋で女中奉公をしていた。そして、十七歳で結婚し、子どもも生まれたが、子どもが三歳の時に亭主が急死した。それから女手一つで子どもを懸命に育てたが、その子どもが九歳の時に川で溺れて死んでしまったのである。次々と愛する者を失いながらも、「おみね」はかろうじて生きてきた。そして、料理屋に務める同じ長屋の娘のおきみがなつき、「おみね」はその娘を我が子のようにして面倒を見ていたが、娘の母親が男を作って駆け落ちし、「おみね」はおきみを引き取って育てた。そのおきみも、やがて煙草の葉をきざむ職人と結婚し、所帯を持って子どももできた。だが、そのころからおきみは「おみね」に金の無心に来るようになり、それが度重なった。「おみね」は老後の生活の不安を抱えながらもおきみに金を都合つけていたが、金額も大きくなっていき、「おみね」が病んで倒れた時には、数度見舞いに来ただけで「おみね」の家の飯まで食べてくようになっていた。

 金は底をつき、病で中断していた内職を再開しようにも、五十一歳になる「おみね」の仕事はなく、折れ釘拾いや短くなった蝋燭を集めて問屋に売るといった暮らしをしていたが、どうにもならなくなり、ふと入った家でわずかの金や食べ物を盗むようになっていったのである。彼女は泥棒長屋に住み、盗みを繰り返しながら生きている老婆になっていったのである。

 森口晃之助は、与力への昇進話を聞いて、自分も養父の慶次郎と同じように、この話を断ろうと思っていた。同心の仕事は想像以上に過酷なものだったが、定町廻り同心として市中を見回っているうちに市井の人々のふとした思いやりに触れたりすることに大きな喜びを感じ、養父の慶次郎のことがわかるようになっていたのである。

 その晃之助が、薄暗くなった川べりでぼろを着た老婆が蹲っているのに出会い、老婆は晃之助の姿を見て、逃げようとして土手を滑り落ちてきたのである。「おみね」である。「おみね」は晃之助に悪態をつき、「生きるってのは苦労なんだよね。さっきも言ったけど、生きていりゃ、胃の腑がめしを食わせろと泣きわめく。つめたい風が吹きゃあ、手も足も衿首も寒いって言うし」(121ページ)と言う。

 森口晃之助は、それを黙って聞き、老婆に背を向けて、おぶって送っていくと言う。そして、「そのなんとか長屋をでてえというのなら、別の長屋を探してやるよ。婆さんに、洗濯や繕いものを頼む奴のいるところを、な」と言う。「おみね」は、「ちぇっ、この年寄りをまだ働かせる気かよ」と言い、晃之助は「ああ」と言って老婆を背負っていくのである。そして、「出世はしなくても、明日も定町廻りどうしんでいられるありがたさが、よくわかったと思った」(122ページ)のである。

 もちろん、これは小説であるが、こういう温かみがあるということが、人間であるということだとつくづく思う。

 「恋文」は、自分で自分宛に恋文を書く人間の寂しさを語る作品で、酒屋の寮番をしている慶次郎のところにいて、いつの間にか慶次郎と友人になったような佐七という下男の友人で、季節の品物を売って歩く際物売りをしている万吉という男が、縄暖簾の女に惚れて、その女からの恋文と称して自分で自分宛の恋文を書く話であり、そこに笑えない寂しさがあることが漂う作品である。

 「歳月」は、夫婦養子にしている晃之助に生まれた孫を可愛がって、機嫌の悪い佐七に好物の煎餅でも買って帰ろうと煎餅屋の前に来ると、男に乱暴されている女がいて、聞くと乱暴している男は女の亭主だという。慶次郎は、その男の乱暴を止めて乱暴されていた女から話を聞く。

 女は料理屋の女将で、亭主の茂吉という男は十三歳年下で、若い女を作って、亭主がその若い女を連れているのに出会って口論になったという。

 おりゅうというその女は、料理屋の一人娘で、父親の言うとおりに婿にした最初の亭主には、すでに女がいて、店の金を盗んでその女と駆け落ちし、二度目の亭主は若い女を作ったと言う。おりゅうは、最初の亭主と分かれて借金を返したり、店を切り盛りしたりしてやっているうちに、家に出入りしていた植木屋の小僧であった茂吉を誘惑した。その時は茂吉はまだ少年で、体を固くして逃げ去ったが、それから数年後に、行き倒れの若者が彼女の名前を呼んだと自身番が知らせてくれ、自身番に行ってみると、そこにたくましく成長した茂吉がいたのである。そして二人は周囲の反対を押して夫婦になった。だが、茂吉は次第にほかの若い女を作るようになったのである。

 茂吉の新しい女は、おりゅうの近所の娘で、植木屋の小僧がいつの間にか若衆となり、よちよち歩きの子が娘となっていく。その歳月の中で人は翻弄されていくとおりゅうは語るのである。茂吉の新しい女は茂吉の子を身ごもり、おりゅうが茂吉と離縁したという話を慶次郎は後で聞く。歳月は人を待たずというが、歳月は人と共に流れていく。このあたりに作者の感慨もあるような気がしながら読んでいた。

 「どんぐり」は、男にすがって生きようとするが、結局はつまらない男に引っかかってしまう女と、女の幸せを願いながら別れた男の姿を、いわば「どんぐりの背比べ」のようにして描いた作品で、生活の泥沼から這い上がろうとする女が、結局は捨てた男から助けられていく話である。

 「輪つなぎ」は、女絵師を目指していたが、自分をめぐる兄弟子どうしの色恋沙汰で破門となり、最初の亭主とは舅夫婦との折り合いが悪く、二度目の亭主は酒癖が悪く、結局は空き巣狙いとなり、その空き巣で貯めた金を三度目の年下の亭主に盗み取られたから取り返して欲しいという、少し虫のいい依頼を受けた岡っ引きの「蝮の吉次」が、その金の行くへを探索していく話である。

 金を盗んで逃げた男は、別の女と駆け落ちの約束をしていたのだが、結局はその女に騙されて女から逃げられていた。その女には、店の金を使い込んで勘当された馬具武具商の若旦那がおり、十両あれば勘当が解けて店に戻れ、店の女将にしてやると言われていたのであった。その仲介をするのが飼葉屋をしている叔父さんで、その金はその飼葉屋の手に渡っていたのである。吉次がそれを突き止めたときは、十両の金が二両二分に減っていた。この作品は、金をめぐる人のつながりであり、そのつながりの薄さが描き出されているのである。

 「古着屋」は、商売がどうにもうまくいかなくなり、ついに、人の家に干してある着物を盗んで売るようになった古着屋の顛末を描いたものである。諸物価高騰の中で苦労しなければならない古着屋と彼らが盗みを働いたということを知りながらも放免してやる慶次郎の周囲にいる人々の姿が描かれる。森口慶次郎の情の深さは、彼の周辺の人間たちへと移っていく。

 最後の「吾妻橋」は、慶次郎が歩いている時に、八丈島送りから赦免になって帰ってきた男と出会うところから始まる。

 男は、瓦職人で、親方の娘と相思相愛だったが、同じようにその娘に恋慕していた兄弟子がその娘に襲いかかるのを見て、兄弟子が持っていた匕首でその兄弟子の足を刺して、刃傷沙汰で八丈島送りとなっていたのである。男は誰に対しても親切で、瓦職人としての腕もよく、真面目に働いていたので、慶次郎はなんとかその男の罪が軽くなるように働いた経緯があった。

 他方、刺された方の兄弟子は、賭場に入り浸ったり、縄暖簾で酔いつぶれたりする遊び人だった。瓦職人の親方の女房はそう証言したが、なぜか、事件を扱った北町奉行所は先に斬りかかったという兄弟子は無罪とし、刺した男を島送りとしたのである。刺された男は足を引きずるようになっていた。

 そして、刺された男は、親方の女房が嘘をいい、自分は仕事もなくしていたと語り、それを脅し文句にして親方の娘を結婚し、食わせてもらっていたのである。そして、八丈島から帰ってきた男からも金を無心しようとしていたのである。だが、親方の娘は、長い年月の間でその男の女房になっていた。そのことを知った島帰りの男は、すべてを飲み込んで、親方の世話をしながらこれから生きていくという。

 その顛末を見ていた慶次郎は、刺された男がわざと刺されたことを見抜いていくが、結末が収まったことでことを荒立てることはしない。年月がすべてを収めていくのを眺めるだけである。

 本書はここで終わるが、良くも悪しくも年月がすべてを収めていく姿を作者も静かに見ていたのではないだろうか。それは一つの達観のような気がしないでもない。作者のこの最後の作品は、余韻を残しながら柔らかく終わるという作者の作家としての本質がよく表れた作品だと思いながら読み終わった。人は、温かみを残して終われればそれでいい、とわたしもつくづく思う。

2013年3月25日月曜日

鈴木英治『手習重兵衛 道中霧』


 このところいろいろなことがあってこれを記すことができなかったが、一応はひとつの決断をつけたこともあるし、一連の行事も一段落着いたので、今日からまたゆったりと構えながら過ごそうかと思っている。今日は、花冷えというか、春が少し退いて雨模様の寒い日になっている。

 鈴木英治『手習重兵衛 道中霧』(2005年 中公文庫)を仙台への往復の新幹線の中で読んだ。このシリーズは、七作目の『母恋い』(2009年 中公文庫)と八作目の『夕映橋』(2009年 中公文庫)を気楽に読んでいたが、本作はシリーズ五作品目の作品で、物語の展開からすれば遡って読むことになるのだが、これはこれでけっこう面白く読めた。

 江戸の白金村で手習い所の師匠をしている興津重兵衛は、藩を出奔しなければならなかった自分の過去を精算し、士分を捨てる覚悟で故郷の諏訪に向かうことにするが、本書はその道中記のようなものとして江戸から諏訪までの旅程で物語が展開していく。

 彼の藩出奔の背景には藩の内紛問題が絡み、刺客である遠藤恒之助という凄腕の侍によって重兵衛の弟は殺され、本書では重兵衛と藩をつないでいた江戸留守居役も殺されることになるし、遠藤恒之助は執拗に重兵衛の命を狙っている。藩の何らかの秘密を重兵衛が知っていると目されており、諏訪忍と呼ばれる一団も重兵衛の命を狙っている。

 重兵衛はその危険を感じながら旅をしていくのである。重兵衛は藩主から遠藤恒之助を討つことを密かに命じられてもいるが、自分の身の清算の旅を続けていく。諏訪忍の一団は、重兵衛の後を追う仲間である遠藤恒之助にも監視の目を光らせている。

 宿場から宿場へ緊張した日々の連続の中で、重兵衛は、時に毒を盛られたり、襲撃されたりしながらも、諏訪に向けての歩みを続ける。甲州街道のそれぞれの宿場の特徴がよく描かれており、下調べが周到になされていることを感じたりしながら読みすすめた。

 また、遠藤恒之助の監視役を兼ねた手助けとしてつけられていた女性が、次第に恒之助に惹かれていくようになり、恒之助もその女性のことを想い始めていく過程や、その女性がついに仲間を裏切っていくなどの展開もあるし、諏訪忍びを手先として使う藩内紛の黒幕の正体が隠されていたりして、面白みが加味されている。

 この手の作品は面白く気楽に読めればそれで十分なのであり、人物の画一的なところとか、展開の無理や矛盾などはあまり気にしない方が良いと思っているので、かなり楽しめた。日常の姿を大事にするために、どこか間延びした感じがあるのは作者の作風だろうが、本作にはそういうところがなく、かなりの密度で書かれているように思う。

 おそらく、次の第六作では、諏訪での藩の悪政の根源である人物の正体が明らかにされたり、遠藤恒之助との決着がつけられたりしていくのだろうと思うが、剣の腕も立ち、頭脳も明晰で、美男であり、愛する者への一途な想いをもつという出来過ぎた人物を主人公にすると、本書が娯楽作品以外の何ものでもないような気がしないでもない。

2013年3月21日木曜日

南原幹雄『王城の忍者』


 ようやく春が歩き始めた。近くに「桜台」という桜並木のある街があり、その桜もだいぶ咲き始めている。先日、その桜並木の道を通りながら、桜の花びらの美しさは、その淡さと相乗してつくづくいいと思ったりした。

 このところ少し慌ただしくて、ゆっくりと机に向かう時間も取れなかったし、今日も午後から仙台に向かうことになっているが、忘れないうちに、南原幹雄『王城の忍者(しのび)』(2005年 新潮社)を読んでいたので、記しておくことにする。

 これは江戸時代の中期に起こった尊皇思想の最初の弾圧事件であったと言われる「宝暦の変(1758年 宝暦8年)から、続く「明和の変(1767年 明和4年)」までの京都の公家を中心にした反幕府運動を背景にした天皇家の忍者たち(天皇の駕籠を担ぐ駕輿丁として従事しながら密命を受けて働く者たち)の闘いを描いたものである。

 「宝暦の変」は、神道と儒学を統合した山崎闇斎(16191682年)が唱えた「垂加神道」を信奉していた竹内敬持(竹内式部)が桃園天皇の若手近習たちに尊皇思想を中心にした彼の学説を講義し始めたのが始まりで、幕府の専制と摂関家による朝廷支配に憤慨していたこれらの若手公家たちが桃園天皇に竹内式部の学説を進講させたのである。

 その尊皇思想は、とうぜん、江戸幕府の存在を批判するものであり、幕府との関係を悪化させるものであるが、それを憂慮した関白一条道香は、摂関家を形成していた近衛内前らと図って、天皇の近習7名(徳大寺公城、正親町三条公積、烏丸光胤、坊城俊逸らの7名)の追放を行い、徳大寺公城と関係していた公家を処分し、禁じられていた公家の武芸稽古を理由に竹内式部を京都所司代に告訴して、竹内式部を重追放としたのである。

 これは朝廷内における公家の勢力争いと言ってしまえばそれまでのことであるが、後の幕末における尊皇思想にも大きな影響を与えた事件で、この頃から次第に尊皇思想が広まっていった事件でもあった。

 その後、蟄居を命じられた徳大寺公城らは、再び密議を行って再起を図るのだが、本書はそのあたりから始まっていく。彼らが天皇を中心にした親政政治奪還のための実質的戦闘部隊として用いたのが、天皇の護衛役であった静原冠者であったとして、その静原冠者の頭領である竜王坊を主人公にして物語を展開していく。

 作者によれば、静原冠者は1186年(文治2年)に後白河法皇が鞍馬から静原をとおり大原に建礼門院を訪ねた時に、法皇の駕籠を担いでいったことを機に、免租の特権を受けて駕輿丁として命じられるに至り、駕輿丁は同時に天皇の護衛と密命を受ける忍者であったとしているのである。

 他方、1336年(延元元年)に後醍醐天皇が足利尊氏に追われて近江の坂本に逃れた際に、天皇を護衛し、天皇の輿を担いで比叡山から坂本まで駆け、その功績によって課税の永代免除を受け、天皇家の駕輿丁としての役割を担った八瀬童子がおり、八瀬童子と静原冠者とは天皇家の駕輿丁を歴代争う存在であったとする。

 この八瀬童子は、民俗学者の柳田國男が「鬼の子孫」として研究したのが有名であるし、作家の隆慶一郎がこの八瀬童子を天皇家の忍者とした作品を描いており、また、近年の1989年(平成元年)に行われた昭和天皇の大葬の礼でも葬列につらなっており、連綿とその歴史が続いている存在である。

 物語は、尊皇思想によって武力倒幕を図る若手公家たちとその危うさを危惧する摂関家の争いを、静原患者と八瀬童子の争いとして描き出し、それに静原冠者の頭領である竜王坊の悲恋を絡めて展開するものである。

 賊に襲われていたところを助けたことから竜王坊と大原女の「利根」は相思相愛の中となり、密会を重ねるようになるが、それぞれの村のしきたりから結婚には至らない状態が続くし、「利根」自身が、実は敵対する八瀬童子から送り込まれた忍者であるという苦悩の中に置かれていくのである。

 加えて、「宝暦の変」は、やがて山県大弐と藤井右門らの「明和の変」につながっていくが、そこに至るまでの朝廷内での争いが連綿と続いていくのである。

 「明和の変」は、江戸で幕府若年寄の大岡忠光に仕えた後に、塾を開いて儒学や兵学を教えていた甲斐(甲府)出身の山県大弐が、「柳子新論」などの激烈な尊皇思想を展開していたが、彼の学問に心酔していた上野小幡藩家老の吉田玄蕃らの小幡藩の内紛に関与したということで、謀反の疑いがあるということで密告され、捕縛されて、1767年(明和4年)に処刑された事件で、これに「宝暦の変」に関わっていた藤井右門も山県大弐の弟子として処刑され、竹内式部も遠島の処分を受けている。「宝暦の変」の竹内式部と「明和の変」の山県大弐につながりがあったことは明白で、結局、この時代の尊皇思想と倒幕運動は頓挫したのである。

 朝廷の若手公家たちの甘さというのを、本書を読んで感じていた。彼らは力もないのに権力意識だけが強くてにわか仕込みの尊皇思想で策謀を巡らす。

 「宝暦の変」で永蟄居を命じられた若手公家たちは密議をこらして「天皇の宣旨をもらい、それによって兵を起こして、幕府に不満のある外様大名を引き入れ、大阪商人から名目銀で資金を集める」という計略を立てる。そして、その尊皇思想の鼓舞のために再び竹内式部を担ぎ出すのである。

 この計略は、すべて「人頼み」の計略でしかない。彼らはその根拠のない計略の危うさに気づかないで、運動を進めていく(4748ページ)。しかし、やがて挙兵直前にまで進んでいくが、その時も、例えば、時を見定めるにしても、「正月ははみんながのんびりしているし、行事が続いて気持ちがゆるむので正月がよかろう」などという(297ページ)。また、大政奉還を狙って江戸を火の海とすることが簡単にできると考えたりもするし、それが実現すれば、それができれば朝廷内での上下関係をなくして平等に役職につけると捕らぬ狸の皮算用で盛り上がったりする(298ページ)。彼らは挙兵するというが、それは浪人たちをあてにした挙兵でもある。彼ら自身に兵力があるわけではない。

 計略の粗略さもさることながら、彼らの視野にあるのは権力の座であって、庶民の暮らしではない。これがうまくいくはずがないのである。ただ、こういうことは、実は幕末から明治まで続き、明治維新は、公家の権力闘争ででもあったのである。

 しかし、こういう中で、静原冠者の頭領である竜王坊は、自分の役割に忠実に、しかし八瀬童子との権力争いをしながら、行動していく。彼は実際家であり、実際家としての彼の姿が婚礼や恋に悩む者として描かれている。彼の恋は不幸にしてそれぞれの立場のために実を結ばないが、着実に歩んでいく者の姿が残るのである。

 本作は、歴史の中で静原冠者と八瀬童子の天皇家の忍者の地位をめぐる争いとして描き出されると同時に、この時代の尊皇思想の危うさと公家のいやらしさと愚かさも描き出されているのではないかと思ったりする。ただ、作者が公家を「愚か者」として描く意図があったかどうかは別にしても、である。

2013年3月16日土曜日

千野隆司『戸隠秘宝の砦』


 再び春の暖かさがようやく戻ってきた感じだが、このところの疲れがたまっているのか、ときおり身体のあちこちが痛む。それでも、今日は、桜が開花し、気分はのんびりと穏やかな時間が流れていくのを眺めている。昨日の新聞に葉室麟『蜩ノ記』が映画化されるとの広告があったが、主人公の姿を描き出すことができる俳優がいるのかどうか、人間の美しさをどうあらわすのか、映像化は難しいかもしれないと思ったりもする。

 この数日、千野隆司『戸隠秘宝の砦』(2012年 小学館文庫)の三冊を読んでいた。この作品は、第一部「吉原総籬」、第二部「気比の長祭り」、第三部「光芒はるか」の三部で、各部ごとに出版されているが、彼の作品としては珍しく宝探しの冒険時代小説となっている。

 その隠された宝というのは、豊臣秀吉が臨終間近になって将来の豊臣家のために石田三成に託した百万両にも及ぶ埋蔵金で、石田三成は真田幸村、大谷吉継とはかって長崎にあった金を密かに隠し、そのありかを記した地図をギヤマンの皿と絵馬に記し、また、財宝が眠る石窟を開ける鍵を刀のなかごに仕組んで宝刀としたというのである。宝は、真田家の所領でもあった信州上田城に近い戸隠山のいずれかにあるというし、絵馬は大谷吉継が敦賀の気比神社に奉納したという。ギヤマンの皿は長崎から財宝を運んだ廻船問屋の高嶋屋が所蔵している。そして、宝刀は長崎で船積みを取り仕切った当時の寺社奉行に託され、それが豊後府内藩(大分)の城内の宝物庫に秘蔵されたという。慶長三年(1598年)のことである。

 そして、1652年(明暦2年)、豊後府内藩の城主となったのは松平忠昭で、大給松平家を起こした。物語は、その八代藩主大給(松平)近訓の時代で、天保年間(18301844年)のことで、秀吉の財宝秘匿から240年後ごろのことである。

 近訓は、逼迫した藩財政の救済のために代々伝わる宝刀にまつわる話にある豊臣秀吉の埋蔵金を用いようと、妾腹の子である近忠に秘宝の探索を命じたというのである。府内藩の財政が破綻していたことは、近訓が継子問題で帰国しようとsたとき、金がなくて江戸屋敷を売り払って工面したと言われるほどで、府内藩の大給松平家は明治まで続いたが、藩内は悲惨な状態だった。

 秀吉の隠し埋蔵金というのは、まあ、納得できる設定ではあるし、近訓には妾腹の子がいたが、藩の財政立て直しに埋蔵金をあてようというような発想は、いくら本作が宝探しの冒険伝奇ロマンをもつ作品とは言え、設定としては、いささか無理がある。しかも、第一部の舞台は吉原であるが、財宝探しを命じられた近忠が吉原に身を寄せたのが藩主であった松平(大給)近訓の口利きというのも、どうだろう。確かに江戸で独自の形態を保った吉原を物語の一つの場として登場させるのは、物語を面白くするのだろうが、安直すぎる気がしないでもない。

 ともあれ、秀吉の埋蔵金をめぐっての戦いが始まる。ギヤマンの皿を預かった廻船問屋の高嶋屋の末裔から江戸店を任されている高嶋屋五郎左衛門と彼に結びついた小浜藩城代家老や側用人、そして、真田幸村が使っていた真田忍びの末裔である鼠小僧次郎吉が、秀吉の埋蔵金のことを知り、互いに近忠と争奪戦を繰り返していくのである。それに加えて、私欲で財宝を狙う高嶋屋五郎左衛門の一人娘である「お絲」と近忠のロミオとジュリエット的な恋も描き出されていく。

 舞台はやがて、吉原から敦賀の気比神社へと移り、攻防が繰り返されて、高嶋屋五郎左衛門が隙をついてギヤマンの皿と絵馬を重ね合わせて財宝のありかを示す地図を造り、大給近忠も6割ほど完成した地図を造り、宝刀は鼠小僧次郎吉が奪うという展開になっていく。

 そして、第三部で、いよいよ戸隠山での攻防が展開されることになるのである。戸隠は、天照大神が天の岩戸に隠れた時に、その前で岩戸神楽を舞い、岩戸の隙間が少し空いたところをみすまして天手力雄命(あめのたじからおのみこと)がこれを開き、塞いでいた岩戸を投げ飛ばして隠した。その岩戸が落ちたところが戸隠だという神話に基づくところで、奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の五社からなる戸隠社がある。

 秘境といえば秘境の地で、もう数年前の冬にT大のE教授らとここを訪れて宿坊に泊まった時に、宿のボイラーが壊れていて、「お湯が出ないんだよねぇ」と言いながら冷たい風呂に震えながら入った苦い思い出がある。

 第三部では、江戸から中山道を通って戸隠に向かうまでの、財宝を狙う者たちとの攻防が描かれるし、戸隠山中での鼠小僧次郎吉をはじめとする真田忍者の末裔や高嶋屋五郎左衛門との熾烈な攻防が展開されていく。

 そして、結局は、鼠小僧次郎吉や高嶋屋五郎左衛門は戸隠の山中で命を失い、秀吉の隠し金は見つかるのだが、その大半以上はすでに真田幸村によって使われていて、わずかに一万両ほどのものが残されていただけとなる。それでも貧窮に喘ぐ府内藩の助けにはなり、一件はめでたく解決して、松平(大給)近忠とお絲もめでたく結ばれていくという結末を迎える。

 地理を丹念にたどり、情景描写を巧みに入れていく作者の作風は、ここでも十分に生かされていて、設定や善悪三者のすくみあいといった登場人物などの安易さは別にして、冒険活劇として面白く読める。

2013年3月14日木曜日

坂岡真『あっぱれ毬谷慎十郎3 獅子身中の虫』


 昨夜から降っていた雨もあって、今日は曇天の寒い日になった。でも、この雨で空気中に飛散していた埃や汚染物質が洗われたかもしれない。九州から桜の便りが届いた。

 先に続いて、坂岡真『あっぱれ毬谷慎十郎3 獅子身中の虫』(2011年 角川文庫)を読む。これもT氏がくださったもので、本書では、一流の剣客となろうとする毬谷慎十郎を唯一負かした女剣士で、いつの間にか彼の大らかさや豪放磊落さに惹かれていく丹波咲が年来の思いであった父の仇を討つことを中心にして物語が展開されていく。

 主人公の毬谷慎十郎は、江戸の三大道場の一つであった男谷精一郎の門下の中でも白眉と称された島田虎之助との立ち合い(剣術試合)で引き分けとなり、丹波道場を出奔し、金もなく、再び空腹を抱えて大路で大の字になって寝込んでしまう。そして、そこでも貧しい母娘に助けられたり、大道相撲を取っていた青葉山との勝負に買って金を稼いだり、彼に関心を持つ元仙台藩士で男谷道場の門下生の奥井惣次の世話になったりして暮らしていくようになるのである。青葉山も奥井惣次も共に仙台藩と関わりがあるが、そのことがやがて仙台藩を中心にした抜け荷事件などと関わっていく伏線となっている。

 こうした日々の中で、毬谷慎十郎は、とうとう無宿人刈りで人足寄場に送り込まれるようになる。そして、その人足寄場で彼らを利用して私腹を肥やす不正を目の当たりにしていくのである。その不正には、火盗改めや寄場奉行なども関わっていた。

 他方、仙台藩の抜け荷を探っていた公儀隠密が薩摩示現流の使い手によって斬殺されるという事件が起こる。その手口は、十年前に丹波咲の父親を殺した手口と同じであることから、咲は父を殺した犯人の探索を始めていく。丹波咲の父親も、公儀大目付からの依頼を受けて仙台藩の探索を始めていて、そこで斬り殺されたのである。

 彼女は罠に嵌められたりするが、その犯人が仙台藩の剣術指南役となったことを知り、彼と戦うために仙台藩主の御前試合に出るために仙台に向かう。

 一方、人足寄場で集められた人足たちが悲惨な目にあったり殺されたりすることを目撃した毬谷慎十郎は、不正を働く者たちと戦い、彼らを解放していくが、悪の根源であった火盗改や寄場奉行にはお咎めなしであったし、そこに薩摩示現流の使い手がいて、彼が平然と人足の首をはねたりしているのを目撃していた。そして、彼は咲が仙台に向かったことを知り、その身を案じて仙台に向かう。

 そこには、仙台藩が藩ぐるみで抜け荷をしているのではないかという幕府大目付の依頼を受けた脇坂安薫(わきさか やすただ)による探索の依頼もあった。毬谷慎十郎は、咲の行くへを探しながら、仙台藩家老と商人が結託した抜け荷事件の真相を暴く。その事件の奥に幕府老中の一人も関与していたことがわかる。ただ、その時に一緒に行った青葉山は薩摩示現流の使い手によって斬り殺されてしまう。

他方、咲は、仙台藩主の御前試合に出場し、見事に薩摩示現流の使い手を破って仇を討つ。こうして、抜け荷事件の解決と咲の仇討ちは見事に成し遂げられるのだが、さらにその奥には、幕府老中を父親にもつ火盗改組頭の旗本が関与しており、彼は自分の出世のために、父親や商人などを利用していたのである。そして、事件の真相を知っている脇坂安薫の命を狙う。

毬谷慎十郎は、その旗本も成敗していくのである。物語の展開の中で、前作で登場した闇の元締めなども登場するし、人足寄場での人間関係や私欲で繋がった人間どうしの姿も描き出されていく。そして、汚泥の中でまっすぐ生き抜こうとする主人公の姿が描かれるし、仕方なしに脇坂安薫のために働かされながらも、安薫を尊敬していく姿も描かれ、咲の想いと咲への主人公の想いが傾いていく姿も描かれる。咲はようやく毬谷慎十郎に稽古をつけることを約束して、彼がそれを小躍りするところで終わるが、こういう終わり方も爽やかでいい。

物語は、主人公と同じように大雑把に進んでいくようでいて、あちらこちらに確かな時代考証と社会背景がしっかり押さえられていて、スッキリ読めるように構成されている。 本作でこのシリーズは終わりのような気もするし、続編があるような気もするが、娯楽時代小説として気楽に読めた一冊である。